
◆塾長日記2010年2月21日
●下手なスピーチは意図的?
“I knew my actions were wrong, but I convinced myself that normal rules didn’t apply. I felt I was entitled.”
(自分の行動が誤りであったことが分かっていましたが私には通常のルールが当てはまらないと思っていたのです。自分が特別だと思っていたのです。)
訴訟社会のアメリカでは自分の非を人前で認めることは非常に稀です。その点、タイガー・ウッズ選手の会見は一定の評価をすべきだと私は思います。
“自分は特別だと思っていた”という件(くだり)はおそらく彼の本音なのでしょう。地位や名誉が時として判断を誤らせることがあります。自分を律することの難しさを彼は見事に表現しています。
原稿を棒読みしただけだとの批判がありますが、かえってそのことで信頼感が高まった気がします。懺悔のスピーチがあまりにも流暢ではかえって不自然だからです。意図的な演出なのだと思います。
感情を抑えた話し方も絶妙でした。麻薬に手を染めたことはないという件も淡々と話すことでかえって信憑感が生まれました。おそらくかなり前に原稿は仕上がっていたはず。音読の練習をかなり積んで本番に臨んだのだと思います。
クレディビリティー(credibility)を失った人がスピーチでどんな仕打ちを受けるのか、このことをいちばん知っているのはタイガー本人のはずです。そのリスクを犯して会見を行ったのにはそれなりの背景があったのだと思います。離婚をしたくてもできない事情、ステロイド疑惑の払拭、復帰の時期等々。
どこまでも自分の言葉で表現しようとするアメリカの風土を感じることのできるタイガーのスピーチでした。

◆塾長日記2010年2月20日
●車を売らない営業マン?
私は車の管理をある男に任せています。
“営業に向いてないんじゃないの?”
という印象すら感じさせる、実にもの静かな男です。
困ったときには彼に電話します。留守番電話サービスの音声を聞いたことがありません。 いつでも必ず電話に出てくれるのです。
“そんなにヒマなの?”
と、からかったことさえあるくらいです(笑)。
箱根で塾の車が故障したことがありました。早朝の5時過ぎです。眠そうな声でしたが彼は私の電話に出てくれたのです。
代車を運転して彼が箱根に到着したのが午前9時過ぎ。そのときの彼の第一声は、
“遅くなって申し訳ございませんでした”。
これには恐縮してしまいました。
結局、車は故障ではなく単にバッテリーが上がっただけ、近くのスタンドに飛び込めば済んだ話ですね(笑)。それでも彼の態度は誠実そのものでした。
車が元気に走ってくれさえすればいい。これが私の気持です。誕生日カードだとか、キャンペーンの告知だとか、そんなことはどうでもいい。この点、彼は私の気持をグッと掴んでいます。
“新型ってどうなの?”
“マイナーチェンジまで待った方がいいですよ。
コンユータ制御が複雑すぎますから”。
毎度、こんな調子です。彼は私に車を売ろうとしないのです。私がいつ乗り換えるのかもわからないのに淡々と要望に応えてくれる、こんな人を大切にしないわけにはいきません。
“話し方は朴訥でも立派な営業はできるのだ”。
私が彼から学んだことです。

◆塾長日記2010年2月19日
●あ・あ・落ちていく!
“やあ、昇進おめでとう”。
こう言ってはみるものの、心の底では、
“なんでオレよりアイツが先なんだ”。
と悔しい思いをすることがあります。
悔しい気持ちは、
“なぜなんだ”。
から始まり、
“なぜだか分からない”。
で終わります。だから余計に悔しくなるのです。
アイツの能力が明らかに秀でているならば納得もいくでしょう。でもどう考えても、
“オレのほうが能力がある”。
という結論に達してしまうのです(笑)。納得がいきませんね。
アイツのほうが上司のウケがよかったのかもしれません。取り入るのが上手かったのかもしれません。あるいは不正を働いていたのかもしれません。とにかく、何らかの理由があって、あるいはそれらの理由が複合してアイツの昇進が決まったのです。
アイツの悪口を並べ立てることは実に爽快です。アイツが失敗することを想像してみただけで天にも昇る気持ちになります。いつの間にか同じような気持を共有する人たちが集まってきます。そして毎晩、居酒屋で“秘密会議”を繰り広げることになるのです。
“アイツが落ちていくことだけが人生の拠り所なのだ”。
少しでもこう感じたのならば、それは、アイツが落ちていくのではなく、オレが落ちていく兆候です。居酒屋ではなかなかこのことに気づきません。
人生を最も不幸にするのは羨望の気持だと私は思います。

◆塾長日記2010年2月18日
●ワニ皮ですか?
“あっ、同じサイフですね”。
“あら、ほんとうだ”。
同じサイフを持っている人と出会うことがあります。気が利いたことが言えないものだろうか。こう思う間もなくおたがいにサイフをしまいこんでしまいます。会話が続かないのは少し寂しい気もします。
“あっ、同じサイフですね。
コレって使いやすいですよね”。
言われた側もそう思っていれば少しは会話が弾みます。でもそうでもないこともよくある話です。
“(このサイフ使いづらいんだよな)”。
こんな風に思っていると反応に戸惑ってしまいます(笑)。
“アッ・ソウデスネ”。
会話のリズムが合いません(笑)。不自然な返答に自分自身が恥ずかしくなってしまいます。
“あっ、同じサイフですね。
キレイにお使いですね”。
こういう言葉を返されると実に嬉しい。キレイかどうかは別としてそのサイフを大切に使っていることだけは確か。そんなときにこう言われるとあたかも自分自身が褒められているような気分になるのです。
会話上手な人はモノ(物)からヒト(人)への変換が見事です。サイフという単なるモノを起点にヒトへと話題を変換してしまうのです。こういう言葉が自然に使える人になりたいものです。
“キレイなサイフですね。
ワニ革ですか。
高級感漂いますね。
ドンキで安売りしてましたよ”。
こういう話し方は避けたいものですね(笑い)。

◆塾長日記2010年2月17日
●スランプって?
“最近、スランプなんですよ”。
よく耳にする文言です。
スランプとは一定期間、成果を収めた人が少しのあいだだけ足踏みすること。それにも関わらず飛躍した気配がない人に限ってスランプという言葉を使うことが多い。実に面白い現象です。
人は誰でも自分がかわいいもの。開き直るときを除いては自分がダメ人間だとは認めたくありません。こういうときの絶好の受け皿がスランプという言葉なのです。
自分がスランプだと感じたことは私にもあります。この言葉を口にしたこともあります。スランプだということを公言するとなぜかホッとするのです。
この言葉は聞き手のウケが実にいい。スランプを口にした途端に周囲の人たちが優しく接してくれるのです。
“大丈夫だよ。
いつも頑張っているんだから”。
皆がこう慰めてくれます。
“君っていつもスランプだよね”。
こんな辛口の助言をしてくれる人にめぐり会うことは稀です。それだからこそ、私たちは余計にスランプの本質を見失ってしまうのです。そもそもスランプとは長く続くものではありません。悩んだりする間もなく脱出してしまう性質のものなのです。
“真の実力者はスランプという言葉を使わない”。
スランプに逃げ込まないクセをつけること。このことだけで人生が大きく前進します。

◆塾長日記2010年2月16日
●帰国子女は英語ができないの?
“This is where you are mistaken.”
(そこが君の間違えているところだ)
よく使う自然な英語ですね。
学生にこんな質問をする先生がいます。
“このwhereは何かね?
関係副詞かい?
あるいは疑問詞かい?”
学生はコレで萎縮してしまいます。英語は難しいと感じてしまうのです。
アメリカ人のビジネスパーソンに同じ質問をしてみると、
“Don't ask me such a tough question!.”
と皆、顔を赤らめます。大学院を卒業したエリートでさえもこのwhereが先行詞を含む関係副詞であることはよく分かっていないのです。
質問してきたことに答えるのは教師の務めです。でも、学生が疑問にも思わないことにあえて踏み込む教育は問題だと思います。そもそもこういうアプローチでは語学の勉強が面白くありませんね。
“先生、whereの中に先行詞が含まれているということは、
This is something which you are mistaken.と言ってもいいのですね?”
学生のこういう質問に、
“文法的には可能”。
こんなヘンテコな説明になってしまうのです。ネイティブはこういう言い方はしません。だから誤りなのです。
帰国子女たちが日本に戻ってみると英語がダメになっていた。まったくおかしな話ですね。
“This is where you are mistaken.”
とは、多くの英語教師におくりたい言葉です。

◆塾長日記2010年2月15日
●ビー・ア・グッド・ルーザー
“負けたときにどうするか?”
スポーツ選手の真価が問われるのは負けたときです。勝利を収めた相手を褒め称え、そして果敢に戦った自分に誇りを持つ。こういう選手がグッド・ルーザー(good loser)です。
スポーツでも仕事でもあるいは恋愛でもギャンブルでも、負けるより勝つほうがいい。負けたときにどうするか、負けたときにグッド・ルーザー(good loser)になれるかどうか。これが人生の大きな分かれ目になるのだと私は思います。
何事も果敢に挑戦すれば負けることもあります。負け続けることもあるでしょう。その負けが先々、活かされるかどうか、それはひとえにアナタがグッド・ルーザーであるかどうかにかかっているのです。
負けが重なると心が怯みます。臆病にもなります。それでもグッド・ルーザーは前に進もうとします。勝った相手を羨んだり、負けた自分を卑下するヒマはありません。果敢に立ち向かって突き進んでいくのです。
負けが活かされる日はいつ来るのか? それは誰にもわかりません。活かされる保証もありません。だからといって歩みを止めてしまうこと、これはバッド・ルーザー(bad loser)がすることです。バッド・ルーザーの行く末は、ザ・ルーザー(The loser)、負けが確定してしまった人生です。負けてさらに強くなるか、あるいは、負けてさらに弱くなるか? この差は実に大きいと思います。負けることで見えるものまで見えなくなってしまうのだとすれば実に惜しい。
“幸せのひとつの扉が閉じると、
別の扉が開く。
しかし私たちは、閉ざされた扉を
いつまでも見ているために
せっかく開かれた扉のほうが
目に入らないのです”。(ヘレン・ケラー)

◆塾長日記2010年2月14日
●天にも昇る?
“ゴディバのチョコレート”。
これをもらっても男性はそれほど嬉しいわけではありません。
“えっ!”
という声が聞こえてきそうですね(笑)。
実はチョコは何でもいいのです。高級ブランドのチョコでなくてもコンビニのチョコでいい。それ以外にもっと大切なことがあります。メッセージカードです。
男性は皆ドキドキしながらチョコの包装紙を開けます。
“何か入っていないかなあ?”
男性は心の中でこう呟きます。どんなメッセージが記されているのかワクワク・ドキドキしているのです。
さて、問題です。カレの心をグイと引き寄せる言葉はどれでしょう?
@お口に合いますように。
Aそばにいてくれて嬉しいです。
B来年もチョコをあげられるといいな。
Cチョコ選びで初めて悩んじゃいました。
どれも悪くはありませんね。その中でもオトコ心をグイッと惹きつける一番のマジックワード、それが
“こんなの初めて”。
男性はこの言葉に実に弱い。
“オレだけのためにこんなにも悩んでくれたのか”。
これだけで世の中すべての男性に打ち勝った気分になるのです。
“自分がナンバーワンなのだ”。
こう妄想するだけで男性は天にも昇る気持ちになれるのです。実に単純ですね。

◆塾長日記2010年2月8日
●究極のスピーチとは?
“母ちゃん、お小遣い上げて”。
“ダメっ”。
説得失敗です(笑)。
一気に説得せずに時間をかけること、少しずつ歩み寄ってもらうことは私たちが日常行っていることです。タイミングや相手の心の状態、あるいは天気や季節によっても結果は左右されます。
会話がマラソンならばスピーチは短距離走です。時間をかけたり、少しづつ説明することはできません。だからこそ工夫が必要なのです。
ディベートは感情を介さない知的遊戯です。スピーチは違います。聞き手の感情が決定権を握っているのです。
“理屈は正しいけど、
でも、そうは思わない”。
こういう結果を導かないためには、
“目標設定を低く設定する”
ことが大切です。
ビジネスでは小さな一歩はどこまでも小さな一歩ですがスピーチでは小さな一歩が大きな一歩です。
“そうかもしれない”。
聞き手からこういう気持を引き出すことができればスピーチは大成功です。理屈やデータを駆使するのは後回しでいいのです。このことを間違えているスピーチが実に多い。
“理屈は通ってない気がするけど、
でもそう思う”。
これが可能なのがスピーチの醍醐味です。理屈も通っていれば完ぺきです。
“母ちゃん、お小遣い上げて”。
“もう財布に入れてあるわよ”。
語らずして説得ができてしまいました(笑)。これが究極のスピーチです。

◆塾長日記2010年2月7日
●教えない教え方?
息子が図形の問題で悩んでいます。
“パパ。これ難しいよ”。
見るとたしかに難しい。補助線を引けば一発で解けそうな問題です。
“さあ、考えよう!”。
教えないのが私の教え方です。息子もこのことは承知しています。でも、
“明日提出しなきゃダメなんだよ”。
と、泣きを入れてきます。
それでも私は答を教えません。意地悪な父親なのです。
算数はひらめきが大切です。ひらめいたその瞬間の、
“わかった!”
という感動が醍醐味です。算数からこの感動を奪ったら何も残りません。
大きな紙に図形を描いてみます。彼も描いて、私も描く。親子で競争です。図形を模写することでひらめくことがあるからです。色分けしてみる。これも競争です。とにかく何でも一緒にやってみるのが私たちのやり方です。
“ひらめかないときはどうするか?”
放置します。何日か経った後でみると一瞬で解けることがあります。これもまた算数の醍醐味です。
さて、一緒に考えているうちに朝日が昇ってきました。眠くてたまりません。
“わかった!”
息子が満面の笑みを浮かべています。
“おい息子よ。一杯やるか?”
“うん!”。

◆塾長日記2010年2月6日
●毒キノコの奨め!
ふたつの箱があります。入っている中身は安全パイと毒キノコ。外からは見えません。さあ、アナタならどちらを選びますか?
“どっちかな?”
こう悩む人はダメな事業家です。“えっ?”という声が聞こえてきそうですね(笑)。
優秀な事業家は人が開けるのを見届けようとします。
一流の事業家は匂いで嗅ぎ分けようとします。
超一流の事業家は違います。誰よりも先に箱を開けてしまうのです。
超一流の事業家は、だから、しばしば毒キノコを口にします。傍観している人は、
“ダメだなあ。
毒キノコを食べちゃったよ”。
とあざ笑います。
超一流の事業家は外野の声など気にしません。口から血を吐いています。でも次の箱を求めてもうすでに歩き始めているではありませんか。
超一流の事業家は箱を見つけるのが実に早い。能力があるからではありません。才能があるからでもありません。視力がいいからでもありません。いつも先を歩いているからです。そしてまた毒キノコを選んでしまいます(笑)。
超一流の事業家はこうやって免疫力を身につけます。毒キノコを食べ続けた恩恵です。
さて、ふたつの箱があります。中身は毒キノコと毒キノコ。箱にそう書いてあります。ダメな事業家も、優秀な事業家も、そして一流の事業家も、皆、見向きもしません。
超一流の事業家だけが叫んでいます。
”おーい、みんな。
松茸を見つけたぞ。
はやく来〜い”。

◆塾長日記2010年2月5日
●キケンな英語って?
欧米人に嫌われたい人にぜひ使っていただきたい英語があります。それは、
“To be frank with you(率直に言えば)”。
学校で教わる誰でも知っている言い方ですね。
英語はストレートな言語です。思ったことはズバリ言う、率直に発言する、とくにアメリカでは、
“You and I are equal.(アナタと私は対等ですよ)”
を前提としてコミュニケーションが行われます。元々が率直な人間関係のはず。あえて“フランク”さを表明する必要はないのです。
“これまでは率直じゃなかったのかよ”。
と口にする人はいませんが、相手の側はそう感じてしまうのです。
“I don’t think so.”
これはOK。でも、
“To be frank with you, I don’t think so.”
とヤルとダメなのです。
“賛成のフリをしていたけど、
実は初めから反対だったんです。
今まで黙っててゴメンなさい!”
こんな感じでしょうか(笑)。
“フランク”だけではありません。“to tell the truth”(本当のことを言うと)、“to say nothing of(言うまでもなく)”もアブナイ英語の部類です。
まだまだあります。“to begin with(まず初めに)”と言ってなかなか”次“の話に移らない人、“to be sure(確かに)”と言って全然確かなことを言わない人、“strange to say(奇妙なことに)”を連発してほんとうに奇妙がられる人等々。
“率直に言えば辺野古じゃダメなんです。
本当のことを言うと沖縄はダメなんです。
言うまでもなくこれが県民の総意です。
確かに前政権で約束しましたよ。
奇妙なことに私たちが政権を取ってしまったんです”。
さあ・さあ・皆さん一緒に英語に訳してみましょうか?

◆塾長日記2010年2月4日
●スモー・レスラー!
“何もないモンゴルの大草原の少年が横綱になって、
支えてくれた人に感謝したい”。
立派な引退会見でした。朝青龍は結局、相撲界に利用され(sacrifice)、甘やかされ、そして最後には捨てられた(abandon)のだと思います。
テレビのコメンテーターがこんなことを言っていました。
“日本人ナイズしなきゃダメですよね”。
これには驚きましたが、反論する人がいないことにはもっと驚きました。外国人を無理矢理、日本人に仕立て上げようとする発想は傲慢(arrogant)です。間違った行為です。
相撲が世界に誇れる国技なのであれば、その普遍性を世界の人々に説明できなければなりません。説明責任という言葉はこういうときに使うのだと思います。
地位は横綱。それでも朝青龍は未だモンゴルの大草原を駆け抜ける少年だった。日本文化に溶け込むことは大切です。でもそのことと同化する(assimilate)ことを混同してはいけません。
彼は母国モンゴルを愛し自分がモンゴル人であることに誇りをもっています。素晴らしいことです。モンゴル人であり続けながら同時に横綱でもあり続ける。このことを相撲界が許さなかったのだとすれば実に痛ましい。
“外国人に日本文化は分からない”。
こういう決めつけは危険です。分からないのではなく、分かるように指導、教育をしていないだけのことです。
相撲の国際化には妥協や修正も必要です。かつての柔道がそうでした。海外巡業を行ったり外国人力士を増やすことだけが国際化ではありません。
相撲が未だ国際舞台で認知されていないことは力士のことを英語で“スモー・レスラー”と言うことからも明らかです。朝青龍は最後までレスラーだったのだと思います。

◆塾長日記2010年2月3日
●無駄は鬼?それとも福?
人からの依頼を無下に断らないこと。断るにしてもやんわりと断ること。けっして相手の面子を潰さないこと。これが古くから引き継がれている日本の伝統です。
私の体の中にもこういうDNAが刻み込まれています。私は頼まれごとが大好きです。自分ができる仕事であれば依頼は必ず請けます。時間がなくても、たいへんでも、ギャラが安くても頼まれればその仕事は喜んでお請けします。
“福澤さんは人から利用されちゃうタイプですよね”。
こんなことを言われると少しばかり不機嫌になってしまいます。弁塾の仕事に特化して、“無駄な仕事”は一切請けない。その方がいいのかもしれません。
“福澤さんは見栄っ張りだから断れないんでしょう?”
ますます腹が立ってきます。余計なお世話です(笑)。
私はこれまで多くの“無駄な仕事”に関わってきました。振り返ってみて思うのはそういう“無駄な仕事”が今の私をつくり出してくれているということです。今の私があるのは“無駄な仕事”のお陰なのです。
自分が行った仕事に関する限り、無駄だと感じたことは一度もありません。それどころか私の能力を高めることに大いに寄与してくれたと思っています。“無駄な仕事”にもっと関わっていればよかった。
私の目指すところは、
“アノ人に頼めばどうにかなるかも知れない”。
こう思ってもらえるような仕事人になることです。
私自身、これまで多くのアノ人に支えられて生きてきました。数々のアノ人たちの愛情溢れる協力や叱咤激励によって今の私がある。だから私もアノ人になりたいのです。
“『断る力』を身につけましょう。
無駄な人とつきあうのはやめましょう。
無駄な仕事はやめましょう”。
こういう流行に私は興味がありません。“無駄な仕事”は鬼ではなく福なのです。

◆塾長日記2010年2月2日
●美人の宿命?
女性の二人組が楽しそうに話をしています。青山のカフェでの出来事です。
“おいらってさぁ、どうしてモテないのかなあ?”
思わず笑い転げそうになってしまいました。“おいら”という言葉の響きが妙に面白かった。彼女たちの風貌とこの言葉が妙にマッチしていたのです。彼女たちは男性の前でもこういう言葉を使うのでしょうか。
さて、男はみな美人が大好きです。美しい女性を見ると必ず振り向きます。でも、美しさだけで心が動くわけではありません。男は美しい女性にはそれに見合った言葉をも期待してしまうのです。男は実にわがままです。綺麗な女性が綺麗な言葉を使うと男は制御不能に陥ります。心も体もメロメロになってしまうのです。これにお酒が加わるとどうなるかは銀座の夜が証明しています。
問題はそのバランスが崩れたときです。綺麗な女性が汚い言葉を吐いたときの失望感は想像を絶するものがあります。綺麗だったはずの女性が普通の女性に見えてきてしまうのです。
美人に生まれた女性はたいへんです。いつまでも美人でい続けなければなりません。いくつになっても年齢不詳でいなければなりません。そして美人に見合った言葉を使い続けなければなりません。美人はこういう十字架を背負って生きていかなければならないのです。
“女の価値は容姿じゃないわ。
言葉でもないわ。
中身で勝負よ”。
たしかにその通りだと思います。でも、残念ながら中身を理解できる男は実に少ない。どうしても容姿と言葉に偏ってしまうのです。
けっして美人ではない。それでも男性から支持される女性がいます。こういう女性は十中八九、言葉の使い方が綺麗です。そして容姿まで綺麗になっていくから不思議です。

◆塾長日記2010年2月1日
●命を落としても信念を曲げない
批判されても動じない。
破門されても動じない。
当選しても動じない。
ボソッと喋る貴乃花のには凄みさえ感じました。物凄いエネルギーです。
喋り方はけっして上手くはない。言葉数も多くはない。表情も硬い。それでも彼の口から語られる言葉にはズッシリとした重みを感じるのです。
“私も当選するとは思っていませんでした”。
おそらくこれが正直な気持なのでしょう。
人はとかく損得を考えます。損得を秤にかけながら世の中を生きていきます。批判をされると心が怯みます。これが普通です。破門をちらつかせられれば躊躇します。たいがいの人はこの時点で諦めてしまいます。でも彼は動じなかった。これが元横綱の品格なのでしょうか。
裏舞台で様々な取引や工作が行われたことは容易に想像できます。一部週刊誌で暴力団との関係が報道されたことも偶然ではないはずです。それでも彼は動じなかった。
おそらく彼は命を落としても自分の信念を曲げることはないでしょう。
“3票ほど足りないんですよ。
どうにかお願いできますかね。
色々と便宜を図りますから”。
こういう言葉を吐くことはけっしてしない。誰が何と言おうとも自らが決めた道を堂々と邁進する。こういう気概が人々に勇気と感動を与え、そして世の中を動かすのだと思います。
貴乃花の行動と言葉に私は弁力の原点を感じました。

◆塾長日記2010年1月31日
●アナタは選ばれた人なのです
助言は実に難しい。人間関係に悩んでいる人に、
“気にするなよ”。
こういう言葉を投げかけるのは簡単です。
“それができないから悩んでるんだよ”。
これが当事者の胸の内だと思います。
悩みを打ち明けている人が何を求めているのか、このことを見極めることは大切です。
助言をする側の舌は常に滑らかです。次から次へと解決策が口からついて出てくる。自分のことはなかなか決めることはできなくても他人のこととなると人はみな饒舌(eloquent)になるのです。
こんなとき、相手の側は言葉少なげです。
“ウン、ウン”。
悩みを打ち明けている人というのは他人の目線から助言を求めているように見えますが、実はそうでもないのではないか。私自身、このことに気づくまでに40年以上の歳月を費やしてしまいました。
“お願いです。
どうか助言をお授けください”。
こうやって懇願されることは稀ですね(笑)。
相手の側は多くの友人、知人の中からアナタを選んだのです。アナタを指名して悩みを打ち明けてくれたのです。この事実を軽んじてはいけません。アナタに理解してもらいたい、気持を汲んでもらいたい、思いを共有してもらいたいと、勇気を奮い起こしてアナタに声をかけてきたのです。
心無い助言は相手を傷つけます。こういう傷はなかなか癒えないもの、悩んでいる人をさらに悩ませることにもなるのです。

◆塾長日記2010年1月30日
●SPがアナタを助けてくれる?
相手がウンウンと頷いてくれる。するとついつい気持が高ぶってアレも言いたい、コレも言いたいという衝動に駆られます。
居酒屋談義ならこれもいい。お酒を飲みながら脱線することも楽しみのひとつです。スピーチがこれではいけません。アレコレ喋っているうちに、
“自分でも言いたいことが分からなくなってしまった”。
スペシフィック・パーパス(specific purpose:以下SP))を定めないままスピーチをするからです。
“そんなことは知らなかった”。
これが情報提供型のスピーチです。
“考えが変ったよ”。
これが説得型。
“ああ面白い”。
これがエンターテイン型です。
聞き手にどんなインパクトを与えたいのか、その方向性を定めることがSPです。SPを定め、SPに沿ってスピーチを行えばブレることはありません。
“留学体験について話す”。
これは、言いたいことではあってもSPではありません。
“稀有な留学体験のエピソードを3つ紹介することで留学の面白さを聞き手と共有すること”。
これがSPです。スピーチの主役は実のところ聞き手なのです。
“Koji, you haven’t handed in your SPs, right?”
(SPの提出はまだでしたね?)
私の担当教授はSPを提出しなければスピーチをさせてくれませんでした。今になってその意図がよくわかります。SPが不明確なスピーチは必ず失敗するからです。
“スピーチがうまくまとまらない”。
こう悩む前にぜひSPを記す習慣を身につけていただきたいと思います。

◆塾長日記2010年1月29日
●女性は凄いっ!
涙は女性の最終兵器です。
“涙・発射!”
たいがいの男はこれで撃沈してしまいます。私自身、この砲撃に何度遭遇したことでしょう(笑)。
さて、こんな男でも学習能力はあります。歳を重ねる毎に女性の涙に慣れてくるのです。未だに慣れないのは“涙もどき”。これは強烈です。
“大丈夫。
気にしないで。
ごめんなさいね”。
などと言われると実に弱い。泣くか泣かないか、この微妙な状況にオロオロしてしまうのです。自分の言葉次第では女性が泣いてしまうかも知れない。こう考えるだけで体中の神経が直立不動してしまいます。
こんなときの最重要アイテムはハンカチでしょう。バッグの中からハンカチを取り出した瞬間に男はモードを切り替えます。
“間もなく発射か?”
これでポロリと涙を発射してくれればいい。涙にはもう慣れています。でも、“涙もどき”とハンカチのダブルで攻められると、もう打つ手はありません。 ここで鼻をかんでくれれば一息つけるのですが、なかなかそうはいきません。
テーブルの上に食べ物があればまだいい。食べるフリをしながらでも相手を偵察することができるからです。こんなときに限ってタバコも切らしてしまうから間抜けです。
“おい自分よ。何かいい話題はないのか?”
自分を奮い立たせます。ても弁が鈍っていてはまともな言葉すら出てきません。姿勢を正してジッと座っている以外にないのです。
さて、こんな女性もデザートが運ばれてくると途端に笑顔に戻ります。不思議です。いつの間にかハンカチも姿を消しているではありませんか。
私はいつになったら女性の“涙もどき”に慣れることができるのでしょうか。私の白旗人生は永遠に続くのかも知れません。
女性は凄いっ!

◆塾長日記2010年1月28日
●あの人が語ると新鮮に感じる?
“どうしても結論が平凡になってしまうんです”。
こういう人の結論を聞いてみると、やっぱり平凡であることが多い(笑)。
こんなことで落ち込んではいけません。スピーチはどれも平凡から始まるのです。
芸人さんがネタつくりに時間をかけるように、私たちも時間を惜しんではいけません。平凡な結論を熟成させ、練りこみ、仕立て上げること。これこそスピーチの醍醐味なのです。
誰が何と言おうとも、
“コレだけは譲れない”。
こういうジアル(zeal)を持っているかどうか。このことは思いのほか大切です。強い信念が平凡な結論にエネルギーを与えてくれるからです。これが平凡から脱却する上で最も大切なポイントです。
2つ目はビジュアリゼーション(visualization)です。スピーチでは体験も具体例も言葉で説明します。言葉で説明したことが言葉に“聞こえ”ればそのスピーチは失敗です。あたかも映画を観ているかのように映像が浮かんでくるスピーチ。これが上手なスピーチです。言葉の選択は、だから大切なのです。
3つ目はライティング・スタイル(writing style)です。書き言葉と話し言葉の最大の違いは長さです。話し言葉はとにかく1文が短い。単語をポンポン投げかけるイメージで語ることがスピーチ独特の文体です。出来れば1文が3秒以内に収まること、話すスピードにもよりますが5秒以上はNGだと考えてください。
情熱はない、絵にもならない、文が長い。だから平凡な結論が平凡に見えてくるのです。
“あの人が語るとなぜか新鮮に感じる”。
こういうスピーチをするための3つの肝、それがジアル、ビジュアリゼーション、ライティングスタイルなのです。

◆塾長日記2010年1月27日
●照広君の鼻紋
“平成19年3月12日生まれ。
名前は照広。
予防接種済み。
父の名、福広土井。
母の名、はるみ”。
我が家に届けられた贈り物、その中に『子牛登記証明書』が入っていました。セリの年月日やセリ番号、祖父母や曽祖父に関する細かなデータも克明に記されています。鼻紋も捺印されていました。
自分が今から食べようとしている牛が実は、
“名前もあった、生きていた牛だった”
ということを知らされると複雑な気持になります。動物愛護だとかそういった高尚な話ではなく、何となく食べる気が失せてしまうのです。
一連の食品偽装問題は生産者と消費者の信頼関係を見事に打ち砕きました。安全な商品であることを証明する方法として『子牛登録証明書』が添付されるようになったのだと思います。
“照広君は食べられるために生まれてきたのだ。
美味しく食べてあげよう”。
こう自分に言い聞かせますがどうしても彼を食べてしまう気にはなれません。証明書に記されている数字は忘れることはできても、鼻紋を見てしまうと彼のことが愛おしく感じてしまうのです。イヌやネコを飼ったことのある人ならばこの気持はわかると思います。
鼻紋の残像がまだ私の脳裏に焼きついています。

◆塾長日記2010年1月26日
●ディーセントって?
“パパ、品格ってどんな意味なの?”
さあ、困りました。私自身、この言葉の意味がよくわからないからです。
息子と一緒に辞書で調べてみます。
“その物から感じられるおごそかさ。品位”。
ますます意味がわからなくなってしまいました(笑)。
品格に欠ける横綱をつかまえて批判をするのは簡単です。品格が”ない”様子はイメージしやすいからです。私が知りたいのは品格が“ある”様(さま)です。
あれこれと考えた末に私がたどり着いた結論、それが英語の“decent”という単語です。
“following moral standards that are acceptable to society”とはつまり“道徳的規範に則っていて、それが社会から受け入れられること”という意味です。この定義を眺めているうちに日本語の”品格“とdecentが非常に似ているような気がしてきました。decentには“慎ましい”という意味もあります。また、“人を平等に扱う”という意味もあります。
decentは日常語です。decent behavior(礼儀正しい行動)、decent shape(健康体)、decent treatment(適切な治療)、decent rain(恵みの雨)、decent time(わきまえた時間)、cheap but decent hotel(安くて質のよいホテル)等々、decentを使った言葉は無数にあります。
“品格”の意味がdecentであるかどうかは別として、私の中では“品格”という言葉のイメージがだんだん沸いてきました。
“万人が理想とする人物”。
これが私がたどり着いた結論です。
“私もこういう人になりたい”。
こういうオーラを放つ人、それが“品格”ある人物なのだと思います。
“おい、息子よ。品格の意味がわかったぞ”。
“何?”
“パパみたいな大人のことだよ”。
“品格に欠けた発言だな”。

◆塾長日記2010年1月25日
●タクシーをつかまえるプロ?
私の友人でタクシーをつかまえる“プロ”がいました。どんなに閑散とした場所で飲んでいても彼に頼めば数分でタクシーがやってくるのです。
とくに目立つヤツではありません。どこにでもいる普通の男です。でもタクシーをつかまえるという他愛もないことで彼は上司からたいへん重宝がられていました。
“コイツに頼めば大丈夫”。
こういうカードをどれだけ多く持っているか。このことで上司や仲間の評価は大きく変ります。それがタクシーをつかまえることでもいい。
“嫌な上司の対処法”。
こういうハウツーに心を奪われている限り、職場での人間関係の悩みは解決しないと私は思います。アナタに辛くあたる上司にストレスを溜め込み、悩みを募らせることにどんな意味があるのでしょうか。
自分の胸に手をあてて、
“自分にしかできないことは何なのだろうか?”
と考えてみる。 ささやかなアナタの貢献が人間関係の潤滑油になり得るのです。
誰よりも早く出社する、誰よりも綺麗な資料を作成する、誰よりもすばやく行動する、誰よりもお酒が強い等々、アナタが職場のオンリー・ワンになる要素はいくらでもあります。それが仕事であれば鬼に金棒です。職場の皆がアナタの味方になってくれるはずです。
職場の人間関係は複雑です。でも同時に単純でもあるのです。どちらのベクトルで人間関係を捉えるかで結果は大きく変ります。
私の友人は今もその会社に勤めています。タクシーをつかまえることしか芸がなかったヤツが今では多くの部下を抱えながら奮闘しているそうです。

◆塾長日記2010年1月24日
●不正なお金じゃないよ
“そのような不正の金は水谷建設はもちろん、ほかの会社からも一切受け取っていない。秘書や秘書だった者も受け取っていないと確信している(と申し上げた)”。
実に分かりやすい。誰にでもスーッと理解できてしまう、そんな言葉を小沢一郎氏は使います。
私が気になったのは“不正”、“会社”、“確信”という3つの言葉です。
“受け取ったといえばそういうことになるかな。
でもそれは不正なお金じゃないよ。
ちゃんとしたお金だから。
一時的に預かったという方が正確かな。
受け取ったのは会社からじゃないよ。
あくまで一個人から預かったわけだから。
そういうお金までアレコレ言われたらたまらないよ。
秘書たちがどうしたかまで分からないなあ。
でもオレは奴らを信じているから”。
これが小沢氏の本音だとは思いませんが、もしそうならば面白いなあ。こんな風に勝手に解釈してこの記者会見を楽しんでいた私です。
さて、3つのキーワードを省くと全体の意味は微妙に変ります。
“誰からもお金は受け取っていない。
秘書や元秘書らも受け取っていない”。
小沢氏はこう言っているわけではありません。意図的に言葉を選んでいるのだとすれば実に巧みな話し方です。明言しているように見えても実は逃げ道が用意されているのです。
記者の中にカンファーメーション(confirmation)を試みようとした人がいなかったのはチョッピリ残念でした。小沢氏の真意を再確認するチャンスはいくらでもあったはずです。

◆塾長日記2010年1月9日
●自力で脳を耕す能力!
“思考回路”の話を続けます。
先ずは自分の思いを伝えること。
“なるほどそう考えるわけだ”。
聞き手にこう思わせること。これスピーチを成立させる第一段階です。
できれば説得すること。これが第二段階。そして動かすこと、これが最終段階です。
“スピーチって難しいんですね。
なんだか不安になってきました”。
こういう声も聞こえてきそうです(笑)。
考えているようで実は考えていない。このことは実は私にも当てはまることです。私自身、自分の壊れた思考回路を修復する日々を過ごしています。大切なのは自問自答を繰り返しながら自らの考えを整理すること、自力で“脳を耕す”能力です。
スピーチはディベートとは違い相手を論破する必要はありません。でも、分からせることは必要です。そのためにはスピーチを行う本人の思考回路が整理されていなくてはなりません。そのアシストをするのが講師の仕事です。
何となく一緒に話をしているうちに、
“そうそう!
私が考えていたことってコレなんです!”
こういう瞬間は必ず訪れます。思わぬ方向に話が逸れることもあります。逸れたことがきっかけで新しい発想が生まれることもあります。“脳を耕す”能力は辛抱強く話に付き合うことから養われるのです。スピーチの指導が居酒屋でもできる理由はここにあります。

◆塾長日記2010年1月8日
●思考回路が破綻している?
自分が鮮明な思考回路を持っているかどうか。このことはスピーチをしてみれば一目瞭然です。
私がパブリック・スピーキングの訓練を始めたばかりのことでした。
“どう考えているんですか?
どうして?
その理由は?
具体例は?”
等々、矢継ぎ早に先生から質問されたことを鮮明に覚えています。
“どう考えてるかって、それを言葉で説明するのは難しいんだよなあ”。
これが私の心の中の反応でした。言葉で説明することがスピーチなのだという感覚すらない私だったのです。おかしいですね(笑)。
さて、言葉で説明できないのには2つの理由があります。ひとつは言語運用能力が欠けている場合。もうひとつは思考回路が破綻している場合です。何とも大袈裟な言い方ですがこれが真実なのです。
英語のスピーチを指導するとこのことが鮮明に分かります。
“英語で言うのは難しいんですよね”。
こう言う生徒さんに、
“日本語でもOKですよ”、
と水を向けても沈黙してしまうことがあります。
うまく説明できないのは英語ができないからでもない、日本語ができないからでもない、単に思考回路が破綻しているだけのことなのだ。このことに気づかされることは当事者にとっては大きな衝撃です。
“ああ、そうお考えなのですね。
それをスピーチにしてみましょうね”。
などとお茶を濁していては私の存在意義がありません。思考回路が破綻していることを円やかな言葉で知らしめること。それが私の使命なのです。
”先生、私ってバカなんですよね。
自分で考えているようで実は考えてないんですね。
最近このことがよくわかってきました”。
こういう声が聞こえてくる頃、その人のパブリック・スピーキング能力は飛躍的に向上します。

◆塾長日記2010年1月7日
●2万円の使い道は?
もし私が無職で、そして無一文の状態で派遣村に入所していたとしたらどうするか。
“就労活動費として2万円を支給します”。
こう言われれば私も飛びつくことでしょう。そしてどうするか? 仕事を探すために渡されたお金をはたして交通費として使うのか? おそらく私は一目散にコンビに飛び込むことでしょう。そしてお酒やタバコを買ってしまうかもしれません。いや、おそらくそうすると思います。追い込まれた状況下でモラルを維持する自信が私にはありません。
彼らに現金を渡しモラルや常識を求めること。これは正しい選択ではなかったと思います。現物支給やバスのフリーパスを配布することが制度上、難しかったというのは実施する側の言い訳にしか聞こえません。
アメリカには低所得者を対象にした食料費補助のプログラムがあります。補食栄養援助プログラム(Supplemental Nutrition Assistance Program)と呼ばれている制度です。受給資格は州によって異なりますが目安は4人家族で月収2500ドル以内、支給額は1人あたり最大で月130ドル。この制度で購入可能なものは食料品や消費目的で栽培される種子および作物です。アルコールやタバコ等を購入することはできません。税は免除されます。以前は5ドル券や10ドル券を切り取って支給されていました。今ではクレジットカード決済のようになっているため“恥ずかしさ”は薄らいでいるそうです。
さて、昨年末のことです。私はホームレスらしき一組のカップルと遭遇しました。厳密に言えばホームレスかどうかは定かではありません。ただ、日焼けとは異なる顔のどす黒さ、着古した服装、キャリーバッグに詰め込んだ荷物一式からこう想像したまでです。サンドイッチらしきものを仲むづまじく分けながら食べていました。クリスマスの晩だっただけに私には衝撃的な出来事でした。

◆塾長日記2010年1月6日
●ニューヨークまで195万円也
日本人にとってJALは圧倒的な信頼感があります。
“できればJALがいいんだけど、高いんだよなあ”。
これが多くの人の声でした。
私はホノルルを経由してニューヨークに行くことにしています。ホノルル便はJAL以外どの航空会社も廉価なチケットを販売しています。ホノルル〜JFKは時期にもよりますが往復で2200ドル前後、しかもファーストクラスでこの価格なのです。ミネアポリスやデトロイト経由になりますが気になることはありません。JAL便を利用すれば成田から直行でJFKに行けますがビジネスクラス早割り料金を使っても44万円、ファーストクラスなら195万円もするのです。
香港や韓国をはじめ海外ではJALの大幅割引を行っています。アジアの人たちはJALの格安ファーストクラスを利用しているのに、成田発は定価でしか利用できない。こういう矛盾に対してこれまでJALは明確な説明をしてきませんでした。
一方、ANAの企業努力は利用する私たちの側から見ても顕著でした。ビジネスクラスの座席フラット化やスペースの拡大、割引料金の導入はJALに先んじて行っていたという記憶があります。サービスはエコノミー、座席がビジネスクラス利用のサービスを始めたのもANAです。JALを追い越そうと懸命の努力をしてきたのがANAなのです。
“JALをつぶすわけにはいかない”。
こういう声に脅かされ私たちは税金投入を容認してきました。これがJALの悪しき体質を生み出してきたのです。
救いは未だ根強いJAL神話です。適性価格であればもつと多くの人がJALを利用するはず。国際線を廃止することは得策ではないと私は思います。

◆塾長日記2010年1月5日
●舌の字はあまりに俗なり
“演説とスピーチってどう違うんですか?”
生徒さんからよく聞かれる質問ですが、実は演説とスピーチはまったくの同義語です。私自身が日頃、演説とスピーチをごちゃ混ぜに使うため、疑問に持つ方が多かったようです。
演説という言葉を造ったのは福澤諭吉をはじめとする慶応義塾大学関係者らです。
“舌の字はあまりに俗なり、
同音の説の字に改めん”、
と演舌から演説という表記になったようです。
“演説とは英語にてスピイチと云い、
大勢の人を会して説を述べ、
席上にて我思ふ所を人に伝える法なり(『学問のすゝめ』十二編)”。
そもそも演説の概念すらなかった時代、多くの聴衆の前で自分の意見を述べる演説は試行錯誤をしながらの創造行為だったようです。討論、可決、否決などの言葉が造られたのもこの時代です。
さて、経済学や医学にも理論があるようにスピーチにも理論があります。アメリカ人は雄弁(eloquent)だと言われます。しかしこれは民族的性質というよりも教育システムが整っていることがその理由です。
古代ギリシャではレトリックと呼ばれる弁論術の原型が形成されソフィストによって弁論術が広められました。プラトン、ソクラテス、アリストテレスはその理論を構築した代表者です。アメリカでは建国後、これら古代ギリシャの弁論術を基にした教育が普及し実学的な演説教育が確立したのでした。
これが日本とは大きく異なる点です。演説を学問的に修める学者がいなければ指導者は育ちません。福澤諭吉がなぜ演説の学部(department)をつくらなかったのか、その理由は私にもよくわかりません。

◆塾長日記2010年1月4日
●チラ見せで観客を釘付けにする!
“日本人のスピーチは前置きが長い”。
よく耳にする話です。
”日本人のスピーチは結論が見えない“。
これもそうかもしれません。
“だから結論を先に言えばいいのだ!”。
これには誤解があると思います。結論を先に言ってしまったらスピーチの醍醐味が薄れてしますからです。
スピーチを始める際に最も大切なのはアテンション(attention)です。何よりも先ず、聞き手を惹きつけることに全力を注ぐ。これが聴衆を結論に導くためのスタート地点です。テーマの提示をすることも忘れてはいけません。ここまでがイントロダクション(introduction)の役割です。
次がボディー(body)です。メインポイント(main point)や裏付けとなる体験談や資料など(supporting materials)を提示します。ここでもアテンションは大切です。聴衆に質問を投げかけたり笑いを喚起する工夫をしながらボディーを乗り切ります。
そして最後がクライマックス(climax)です。これまでの内容を整理しつつ、一定の結論(conclusion)に至るわけです。
スピーチはストリップとよく似ています。踊り子さんはなかなか服を脱いではくれません。チラ見せを巧みに繰り返すことで、“結論”は先延ばしにします。見えそうで見えない絶妙のタイミングが観客を釘付けにするのです。 踊り始めるやいなや、
“さあ、これが私の裸体じゃ”。
これでは興ざめですね(笑)。
惹きつけて、惹きつけて、そして、最後のクライマックスまで聴衆を釘付けにすること。これが弁士の仕事なのです。
“結論とは最後のクライマックスまでとっておく”。
これが上手なスピーチの基本法則です。

◆塾長日記2010年1月3日
●ドント・ブリー・ミー!
新年になると誰もが口にする言葉、それが
“今年も宜しくお願いします”。
一億数千万人の人々が一斉にこの言葉を使って新年の挨拶をするわけです。
さて、このフレーズを英語に訳すとどうなるのでしょうか。挨拶言葉の定番だから訳せないのかも知れませんが、とにかくトライしてみましょう。
最初に思いついたのが、
“Best regards.”
こんな英語じゃダメですね。チョイト堅苦しい。
“Happy to work with you!”
けっこうイケてるかも? 仕事仲間ならこれでいいのかな。
“Keep in touch!”
これも使えそう。
色々な表現が浮かびますがどれもシックリいきません。“よろしく”の感じがうまく表現できな
いのです。
考え抜いた私の結論、それが、
“Don’t bully me .”
(いじめないでね)
ああ、何と大胆な翻訳でしょう(笑)。しかめっ面をした英語の先生の顔が浮かびそうです(笑)。
そもそも日本という国は相互扶助を基盤に成り立っています。島国、農耕民族、集団主義なども日本を象徴するキーワードだと思います。
こういう社会では1人だけが際立つこと、抜け駆けをすることはある種のタブー。苦楽は皆で共有するものなのです。
“今年も仲良く畑を耕しましょう。
苦楽を共にしましょう。
仲間外れにしないでくださいね”。
こういう私たちのDNAを象徴した言葉が“宜しく”なのだとすれば“ドント・ーブリー・ミー”という解釈も成立するのではないか。こんな勝手な解釈をしながらお正月を過ごしている私です。

◆塾長日記2010年1月2日
●暗記偏重主義?
私がケネディー大統領の就任演説(The inaugural address)と出会ったのは高校3年生のときのことでした。当時、一緒に勉強していたのが現カプランジャパン代表の石渡誠氏です。
“おい、これって偉い人の演説だって”。
“そうらしいな”。
“難しくってわかんないな”。
“そうだな”。
すべてがこんな調子の私たちに暗記を勧めてくれたのが森先生でした。暗記することに懐疑的(skeptical)だった大多数の生徒の意見はこうでした。
“意味が分からない英語を覚えても意味がない”。
たしかにそんな気もします。
“分からなくてもいいから。
その方がかえって好都合かもしれないな。
完ぺきに暗記した頃には意味がわかってくるから心配するな”。
私たちはこの言葉を受け入れ、演説を最初から最後まで暗記したのでした。
この演説を理屈から理解しようとしたら結局、暗記をしないままで終わったのではないかと思います。
“暗記偏重主義”とはマスコミが喜びそうなレッテルです。でも実は暗記こそが英語が堪能になるための古くて新しい公式なのです。
“先生、ケネディーのテープで発音を勉強するんですよね?
ケネディーみたいな発音になってしまうか心配なんですけど”。
こんな私たちに先生はこう答えてくれました。
“ケネディーを超えることはないから心配は無用だよ。
もしケネディー訛りの英語を話せるようになったらそれだけで凄いことだ。
日本にそんなヤツはひとりもいないからな”。

◆塾長日記2010年1月1日
●日本が太陽で私たちは月なのです
2010年の元旦は部分月食で始まりました。日本の歴史上、元旦に起こる月食は初めてのことだそうです。
さて、月といえばパラオ共和国のことを忘れるわけにはいきません。
“私たちの国旗は日本を真似ています。
日の丸部分を黄色い月、青地は海で表しています。
月は太陽に支えられ生命を保つのです。
太陽とは日本のことです。
月が中央にないのは日本を真似た遠慮の気持からです”。
心の底から日本を愛する国、それがパラオ共和国です。私たちはこのことに誇りと自信をもつべきだと思います。
第二次世界大戦の末期、事前に島民を避難させ、現地人の犠牲者を1人も出さなかった日本兵の話はあまり知られていません。戦いが終わって帰島した彼らは日本人の遺体を見て泣き崩れたそうです。
“アメリカ兵は日本人の遺体には見向きもせず、
自国兵の遺体だけを整理しました。
これが征服民族の本性なのです”。
島民は日本兵の遺体を葬りました。日本人がいつ来てもいいようにとその後も墓地の清掃を心がけているそうです。パラオにはいくつかの慰霊塔があります。この慰霊塔建立に尽力した父を私は誇りに思っています。
パラオの真実を日本のメディアはどうして報道しないのでしょうか。天皇陛下のパラオ訪問が直前になってサイパンに変更になったことがありました。背景にアメリカの圧力があったのではないか。私は今でもそう考えています。

◆塾長日記2009年12月31日
●太陽を西から昇らせてみせる!
“黒人の大統領なんてあり得ない。
なったとしてもすぐに暗殺されるはずだ”。
つい数年前にはこういう意見が大半だったアメリカで今、何が起きているのかは周知の通りです。
かつてキング牧師は“I have a dream”という演説を行いました。暗殺されることを覚悟の上での名演説でした。そして今、牧師の夢はオバマ大統領の出現という形で達成されました。
夢の達成には時間がかかります。多くの挫折も味わうことでしょう。それでも歩みを止めることなく夢を追い続ける。その大切さを若者に語り続けていくこと、これこそが大人の責務だと私は考えています。
挫折の数々を机の上に並べて、
“ほ〜ら。
やれるもんならやってみろ”。
こういう脅しをかけて若者を萎縮させてしまうことが私たち大人のしていることだとすれば、今の日本の若者は不幸です。
若者は皆未熟です。実現不可能だと思えるような夢を次から次へと語ろうとするものです。でもそれでいい。それが若者です。
“太陽を西から昇らせてみせる!”
こういう“たわ言”にこそ耳を傾け、鼓舞、激励する。教師、上司、親の責任は重大なのです。
夢が実現しないことを証明することが大人は得意です。これがどれほど罪深い行為なのか、大人は肝に銘じるべきです。
かつて日本の首相が語った“美しい国”とは若者が夢を追い続けることのできる国なのではないか。私はこう考えます。

◆塾長日記2009年12月30日
●また逢う日まで!
“ねえ、幸ちゃん。ウェンディーズって知ってる?”
大学の学食にあったのがモス・バーガー。街中に溢れていたのがマクドナルドでした。
“ちょっと高級だけどとっても美味しいのよ”。
当時のガールフレンドに連れられてやってきたのが恵比寿のウェンディーズでした。モスやマックと比べると明らかに客層が違っていてチョッピリ緊張したものです。
英語に熱中していた私たちはデートのときも英語で話をしていました。拙い英語を使ってオーダーをしたことを思い出します。
“テイク・アウトって英語だよな”。
“うん、でもあまり聞かないよね”。
こんなことを英語で語りながら、イーティング・ヒアー(eating here)やトゥ・ゴー(to go)といった会話の練習をしていた私たちです。今から25年以上前の話です。
“Two coffees, please.”
とオーダーをしているガイジンの英語に感動したこともありました。学校では“two cups of coffee”と教えられていたからです。日本を1度も出たことのない当時の私にとってウェンディーズは異文化との出会いだったのです。
息子を連れて思い出の地、恵比寿にやってきました。行列が出来ています。
“パパはここで勉強してたんだね?
肉の形が四角なんだ。
タマネギも美味しいね”。
マック世代の息子には何もかもが新鮮のようです。

◆塾長日記2009年12月29日
●笑いのセンスは磨くもの?
ある外科医のところに隣町から治療を受けに来た男がいました。外科医は、
“隣町に外科医がいるのにどうしてワザワザここまで来たのか?”
と尋ねました。するとその男はこう言いました。
“私がその医者なんです”。
スピーチを成功させるいちばんの近道は何なのか? それは聞き手を笑わすことです。
話の内容、言葉の使い方、抑揚、強弱、緩急、間(ま)等々、技術面の大切さは言うまでもありませんが、それ以上に大切な要素が笑いです。
人は笑いに飢えています。笑わせてくれる人が皆、大好きです。スピーチにもこのことが当てはまります。
笑わすことを難しく考える必要はありません。素材はアナタの回りにたくさんあるからです。失敗体験がその例です。
失敗体験は上手なスピーチをするための宝庫です。これを活用しない手はありません。恥ずかしかったことや騙されたこと、あるいは誤解されてしまった体験も笑いを生み出すための立派な材料です。
“私には笑いのユーモアのセンスがないんです”。
英語のhumor(ユーモア)とはhuman(人間)が変化してできた言葉です。ユーモアは私たちの生き様の中に既に存在しています。だからセンスがないと嘆く必要もなければ、磨く必要もないのです。自分が体験したこと、失敗したことを素直に表現すれば、それがユーモア溢れる笑い話になるのです。

◆塾長日記2009年12月28日
●スピーチ上手になる秘訣!
“人間が他の動物と異なる点は、人間は最も模倣的な動物であって、人間の最初の知識は模倣を通じてなされるという所にある”。(アリストテレス『詩学』)
スピーチに関する相談で最も多いのが、
“うまくできない”
というものです。
私たちは親、兄弟、先生に囲まれながら母国語を自然に身につけてきました。オギャーと生まれた瞬間から日本語を模倣(mimic)する機会に恵まれて育ってきたのです。
スピーチに関してはどうでしょう。 母国語を身につけると同じように誰かのスピーチを模倣するチャンスがあったでしょうか。このことについて振り返ってみれば日本人の多くがスピーチを苦手とする理由も明らかでしょう。
“私もあんな風にスピーチがしてみたい!”
心の底からそう思えるような体験値が実に少ない。取ってつけたような自己紹介や面白みに欠ける授業、こんな“負の体験値”ばかりを積み上げて私たちは大人になってしまったのです。スピーチ上手になるための土壌が日本には育っていません。
“下手でもいいから頑張ってみましょう”。
下手でいいはずがありませんね。巧みで華麗でしかも面白くなければスピーチではないのですから。
オバマ大統領の出現は日本人に大きな影響を与えてくれました。オバマを真似てみたい、彼のように話がしたいという衝動は実に大切です。
スピーチが上手になる秘訣、それは生まれ持った能力にあるのはなく、真似てみたい、模倣してみたと感じることができる人がいるかどうかにかかっているのです。

◆塾長日記2009年12月27日
●ああ・有馬記念!
“有馬って荒れるのよね。
幸ちゃん、去年も当てたんでしょう?”
こんな風に甘い声で囁かれると私の“知ったかぶり病”が発病してしまいます。
“ねえねえ、秘密の穴馬券、教えてよ”。
こう言われてしまうと、もう、本命馬を口にすることはできません。心の中では
“Hドリームジャーニーで決まり!”
と心に誓っていた私です。でも、私の口から出てきた言葉、それは、
“今年も荒れるぞ〜”。
本命が来ると思っているのに、それを素直に表現できない私がいます。ああ、情けない!
オトコという人種は女性に頼りにされることを生き甲斐にしています。頼りにされることがたくましく生きていくために必要不可欠なエキスなのです。
“凄いっ”。
こう言われたい。
“見直しちゃったわぁ”。
こうも言われたい。
“ステキ!”
これもいい。
オトコはこんな言葉が囁かれるのを密かに期待しているのです。大穴馬券を当てて褒めてもらいたい、頭をナデナデしてもらいたいのです。“知ったかぶり病”につける薬はありません。
新聞やネットで仕入れた大穴情報を次から次へと語り始める私がいます。もはや自分で自分の言葉を制御することはできません。
さて・さて、私が推奨した穴馬は馬群に沈んでしまいました。来たのはアレアレ・やっぱり私が心に誓ったドリームジャーニー。
“残念だったわね。
でも楽しめたわ。
今度は穴を当ててね”。
なんと優しいお方でしょう。オトコはこんな言葉にも弱いのです。でも、
“実はオレ・三連単を買ってたんだよなあ”。
なんて口が裂けても言えませんね。
今年の有馬はストレスが溜まりました。

◆塾長日記2009年12月26日
●かつての井戸塀政治家
“危ないお金には手を出さないで。
我が家にはお金はたくさんあるんだからね。
このお金を政治活動につかって総理大臣になるのよ”。
ブリジストンの株の配当だけて年間3億円、時価総額で数百億を持つ資産家のお坊ちゃまにとって、月々1500万円は端(はした)金なのでしょう。
鳩山首相自身に罪の意識が欠落していることは、
“私腹を肥やしたつもりは一切ない”。
の発言からも明らかです。
生まれた瞬間からお金のありがたみや苦労とはおおよそ無縁の暮らしをしてきたことはある意味、気の毒でもあります。
“資財を投げ打って何が悪いのか?”
もしかしたらこれが一族の本音なのかも知れません。
問題は脱税に関する感覚が希薄だということ、この一点です。
かつては政治活動や庶民のために資財を投げ打った政治家や実業家が日本にはたくさんいました。政治で金儲けをしない、投げ打った資産で社会悪を撲滅する、貧困層を救おうとした人たちです。かつての“井戸塀政治家”という言葉はもはや死語になってしまったのでしょうか。
民主党は国民の総意で選んだ政党です。最高責任者が鳩山由紀夫という人物です。彼の不正を擁護する理由は一切ありませんが、同時に、彼の気概を信じ見守る姿勢も選択肢のひとつなのではないか、私にはそんな気がします。
庶民感覚からずれているということだけに敏感になりすぎる、このことで本質を見失うと損をするのは私たち国民です。彼を辞任に追い込むことで得られることは微小なのですから。

◆塾長日記2009年12月25日
●大学入試の英作文
受験生の英作文を久々に採点する機会がありました。
“今時の若者はどんな英文を書くのだろう?”
意外にも皆上手く書けていることに少々驚いてしまいました。どの解答も個性があって実に面白い。こんな若者たちが将来の日本を背負っていくのかなあ、などと感傷的な気分に浸ってしまいます。
昨今の英作文は“自由英作文”。自分の意見を制限字数内で記述する出題です。
“冠詞に関しては厳しく減点してください。
時制のミスは大減点。
綴りの間違いは一箇所につきそれぞれ減点してください。
文法的なミスはどんどん減点してください”。
こんな趣旨の採点基準を渡されました。
内容は素晴らしい。そんな解答でも基準に従って減点をしていくと、どんどん点数がなくなってしまうのです。
“点数は0点ですが、全体として上手に書けていますよ”。
こんなコメントで子どもたちが喜ぶはずもありません。だからといって甘く採点するわけにもいかない。そんなジレンマ(dilemma)に陥りながら淡々と仕事をこなした私です。
大学入試の現場で採点がどう行われているのか、私にはこのことがいちばんの不安です。ほとんどの大学では正解を公表していません。自由英作文の採点基準など、一切が非公開なのです。開示を求める声すら上がらないことは実に不思議です。
“日本人が採点したら30点。
ネイティブ・スピーカーが採点したら70点。
平均をとって50点”。
ある大学の担当者から聞いた実話です。
こんな採点で合否を決められてしまうのだとすれば悲劇ですね。

◆塾長日記2009年12月15日
●息子のあだ名はオヤジ小僧!
私が子どもの頃は、“よそいき”という言葉をよく使いました。父のポマードを借りて頭は七三分け、買ったばかりのブレザーを着込み、靴はピカピカ。近所のおばさま方が、
“あら、幸ちゃん、今日はよそいきなのね。
どこに行くのかしら?
カッコいいわよん”。
などと声をかけられたものです。
今ではバッチリ決める“よそいき”は流行らなくなりました。何気なく着こなすのがお洒落な時代です。
スソがボロボロに破れている私の綿パンを見て、
“What a cool!”
こんなことを言われてキョトンとしていたのが私が学生の頃でした。買ったばかりのポロのパンツよりも着こなしたほうがカッコいいというわけです。
アバクロ(Abercrombie)がアメリカで大ブレークしたのはこういう時代の流れなのでしょう。胸の刺繍や糸のほつれこそがアバクロの最大の魅力であり特徴なのです。
“アバクロを息子に着せたいなぁ”。
ハワイに行けば誰でもアバクロの商品を買うことができます。でもキッズの商品はハワイでもマンハッタンでも扱っていないのです。私の闘志に火がつきます(笑)。
“おい、息子よ。
ニュージャージーのモールに行くぞ”。
息子にアバクロを着せて喜んでいる私はかなりのミーハーですね。でもそれで満足なのです。
さて、私の期待に反して息子はアバクロを着てくれません。
“パパ、僕ね、アバクロって好きじゃないんだよ。
新しいポロ、買ってよ”。
どうやら我が息子は昔ながらの“よそいき”が好きなようです。
そんな彼のことを私はオヤジ小僧と呼んでいます!

◆塾長日記2009年12月14日
●“入れなきゃ、出ちゃこない”
語学の学習にインプットは大切です。インプットとはつまり英語の表現をシャワーのように浴びることです。
問題は入れる量です。中学校から高校までの6年間、この期間に子どもたちが読む英文の量はNew York Timesの1日分にも満たないという事実。このことを軽視してはいけません。大学のゼミで学生が読む量もせいぜい原書、数冊程度でしょうか。これでは読んだことになりません。
“読めるけど会話は得意じゃないんです”。
こういう人がどれだけ読めるのかはNewsweekを一冊渡してみれば歴然です。読めるようでなかなか読めない人が圧倒的に多い。
英語が得意にならない日本人が多いのだとすれば、それは単純に読む量、インプットの量が少ないだけのことです。原因は思いのほかシンプルなのです。
“Time”がダメなら“Newsweek”。NewsweekがダメならReader‘s Digestでいい。これでもダメなら新聞でも雑誌でも何でもいい。無理なく読める英文に毎日触れること。これが英語上達のいちばんの近道なのです。
“時事英語なんて興味ないもん!
私は英会話がしたいのよん”。
こういう気持も分かります。英会話が上手になりたければ英会話本を片っ端から読んでいけばいい。隅から隅まで暗記してしまうくらい徹底的に読めばいい。
発音を勉強したり、映画を観たり、あるいはまた文法や文構造を研究することも大切です。方法論も色々あるでしょう。でもインプットを怠ってはいけません。
“6年間勉強しても英語ができるようにならないのはなぜか?”
大切なのは期間ではなく量です。
“入れときゃ、出てきちゃう”。
これが英語学習の古くて新しい絶対法則なのです。

◆塾長日記2009年12月13日
●英語の衣を被った日本語?
“天皇は日本の象徴なんだよ”。
私たちは小学生の頃、こう教えられました。
“天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく”。
これが日本国憲法の第一条の内容です。
現憲法の原文が英語であることは皆さんもご存知の通り。英文では、
“The Emperor shall be the symbol of the State and the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.”
と記されています。
私が気になるのはEmperorの意味です。
“emperor; the man who is the ruler of an Empire”。
ロングマン英々辞典の定義によれば“エンペラー”とは統治者(ruler)を意味します。天皇が統治者であって象徴でもあるということに矛盾を感じるのは私だけでしょうか。
第四条には天皇が国政に関する機能を有しない(he shall not have powers related to government)とあります。明治時代の“天皇”とは意味合いが異なることだけは明確です。
天皇を象徴として存続させたかった当時のアメリカの意図はわかりますが、emperorという言葉をsymbol(象徴)という言葉で説明すること自体にそもそも無理があるのではないでしょうか。
“日本の憲法は日本語で記さなければならない”。
これが私の結論です。
日本を愛し、日本の歴史や文化に精通し、日本語がわかる私たちの手で憲法を起草すること。このことを排除する理由はないはずです。
“英語の衣を被った日本語”が今の憲法である以上、日本はアメリカの占領下であり続けると言えば大袈裟でしょうか?

◆塾長日記2009年12月12日
●嘘より悪いこと?
帰宅したら手を洗う。こういう習慣が身についていない人がいます。私の息子です。
“ほらっ! 手を洗いなさい”。
私がこう言えば息子は渋々洗面所に向かいます。私が黙っていれば彼は決して手を洗わないのです。
“お前はどうして手洗いをしないんだ?”
“忘れちゃうんだよね”。
““ばい菌でお腹が痛くなっちゃうぞ”。
“お腹なんて痛くなったことないもん”。
こんな会話を何度繰り返したことでしょう。
新型インフルエンザが流行した今年は以前よりも手洗いをするようになりました。それでも忘れることがあるのです。
“一体どうすれば息子は手洗いをしてくれるのだろうか?”
これが私の悩みでした。うがいをすることに抵抗はないようです。そのついでに手を洗うことがどうしてできないのでしょうか。
“おい息子よ。
手洗いをしないことは嘘をつくことよりも悪いことなんだぞ”。
この一言が息子を動かしました(笑)。私が悩みから解放された瞬間です。
“パパ。嘘をつくことよりも悪いことがもうひとつあるよ”。
“なんだ?”
“あのね、新聞を読みながらウンチすることだよ”。
こんな息子も今日で12歳。言葉の遊びが楽しめる年頃になりました。

◆塾長日記2009年12月11日
●オバマの真意をくみ取る
“戦争肯定は間違い”。
“良い戦争と悪い戦争があるのか”。
“戦争を肯定しながら核なき世界を目指すのは矛盾しているのではないか”。
広島と長崎でオバマ大統領の演説に対する失望や憤りの声が上がっています。
こういう反応が出るのも当然かもしれません。オバマ自身、演説の中で
“ときには武力は必要だ”。
と述べているからです。日本人にとってこれは刺激的です。
演説を隅々まで検証してみるとオバマ自身が実は平和主義者であることがわかります。彼が肯定しているのは戦争ではなく平和です。
前後の文脈(context)を無視すること、一部分のみを切り取って演説全体を語ろうとすると本質を見失うことになります。これは危険です。
アメリカは軍事力を背景に、また、世界平和という大儀を理由に、これまで様々な愚を犯してきました。その国の最高責任者が戦争と平和の問題を正面から議論しようとしていること、このことに大いなる意義を見出そうではありませんか。
演説を原文で読むことをぜひお勧めします。高校卒業程度の英語力さえあれば誰でも読めるはずです。ケネディー大統領やキング牧師の演説は難しくても、オバマの演説なら大丈夫なのです。
“私はこの声明に、マーチン・ルーサー・キングが何年も前に、この同じ式典で述べた思いを込めたい。「暴力は決して永続的な平和をもたらさない。社会的な問題を何も解決せず、もっと複雑な問題を新たに作り出すだけである」。キングのライフワークを引き継ぎここに立つものとして、私は非暴力の道徳的な力を信じる証言者だ。ガンジーとキングの信条と人生において、弱々しく、消極的で、ナイーブなものは何もないことを私は知っている。しかし国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない”。
(I make this statement mindful of what Martin Luther King Jr. said in this same ceremony years ago: "Violence never brings permanent peace. It solves no social problem: it merely creates new and more complicated ones." As someone who stands here as a direct consequence of Dr. King's life work, I am living testimony to the moral force of non-violence. I know there's nothing weak -- nothing passive -- nothing naive -- in the creed and lives of Gandhi and King. But as a head of state sworn to protect and defend my nation, I cannot be guided by their examples alone.)

◆塾長日記2009年12月10日
●正当化VSジャスティファイ
“他の人が理屈に合わないと考えていることに対して満足が得られる説明を行うこと”。
これが英語の“justify(正当化する)”の定義です。to give an acceptable explanation for something that other people think is unreasonable。
さて、平和主義を名乗る人たちは異口同音に、
“戦争は正当化するわけにはいかない”。
という言葉を口にします。
私自身、このことに異論を挟むつもりはありません。論破するだけの知識も持ち備えていません。ただ、戦争の正当化を認めないということを前提とすると議論が行き詰ると感じるのは私だけでしょうか。
オバマ大統領はノーベル平和賞授賞式の演説でjustifyという言葉を使いました。
“我々が生きている間に暴力的な紛争を根絶することはできないという厳しい現実を知ることから始めなければならない。国家が単独でまたは他国と協調した上で武力行使が必要で道徳的に正当化できると判断することがあるだろう”。
“We must begin by acknowledging the hard truth: We will not eradicate violent conflict in out lifetimes. There will be times when nations---acting individually or in concert---will find the use of force not only necessary but morally justified.”
よくありがちな(stereotyped)演説ではありませんでした。戦争に兵をおくっている現役の大統領がこの賞を受賞するという矛盾から逃げることなく持論を展開した名演説です。
justifyという英語と“正当化”という日本語の間の微妙な差異、このことにあまりにも無頓着だった私自身を反省させてくれた、それが今回のオバマ大統領の演説でした。

◆塾長日記2009年12月9日
●プレナップって?
“離婚することになったらどうするの?(アメリカ人)”
“そんなこと考えるなんて不謹慎だろう”(日本人)。
日米の溝は経済問題だけにとどまりません。結婚・離婚に関する考え方にも大きな隔たりがあるのです。
プレナップ(prenuptial agreement)。“婚前契約”のことです。結婚をする前に取り決めごとを契約書にして交わす習慣です。日本ではあまり馴染みがありませんね。
渦中のタイガー・ウッズ選手の場合は夫人と結婚7年で5500万ドル、仮に2年後に離婚した場合、これに加えて調停金3億ドルが支払われるという契約を交わしていたそうです。
“結婚は夫と妻の契約であり、その担保は愛情なのだ”。
これが彼らの考え方です。理屈はそうでも私たちにはピンときませんね。
“離婚のことを考えて結婚するもんじゃない”。
こういう感覚の方が日本人にはしっくりいくような気がします。
さて、結婚式のスピーチではいまだに“切れる”とか“別れる”とかいう言葉を避ける習慣があります。
“綺麗な新婦が羨ましい限りです”。
こんなスピーチではひんしゅくを買うことになってしまいます。
“綺麗は『切れい』を連想するからダメ”。
“限りも『か切り』を連想するからダメ”。
万事こんな具合です。日本人がスピーチを苦手とする理由はこんなことにも原因がありそうです。
さて、
“結婚は縁である。担保など介在させるべきではない”。
こういう感覚をどうやって英語で表現したらいいのか、今夜は眠れそうにない私です。

◆塾長日記2009年12月8日
●宣戦布告をする気なのか?
“Agree or disagree?
Come on!
Tell me”.
事を意図的に曖昧にすること、明確な態度を隠そうとすることをヴェイギング・ザ・クエスチョン(vaguing the question)と呼びます。アメリカ人が最も嫌う態度です。
賛成であろうが反対であろうが、とにかく自分の意見や態度を包み隠すことなく表明する。こういう態度を貫くことが多くのアメリカ人にとっての“ルール”です。“道徳”と言っても過言ではないかも知れません。
交渉のテーブルで、
“Let us think about it”.
という言葉を吐いた瞬間にビジネス交渉は頓挫します。
“考えてから出直して来い!”
ということなのでしょう。これが英語でビジネスをする上での常識です。
たがいの面子や置かれた状況を考慮し態度をあえて保留すること。こういう日本式の“流儀”を共有できるほど世界は寛大ではありません。アメリカ人を動かすには彼らの気質やメンタリティーに熟知していなければならないのです。
普天間移転をどうするか? 闇雲に事を先延ばしにすることは、約束を反故にすること以上に重罪です。態度を明確にすることがアメリカ流の“ルール”であり“道徳”なのだということを私たち日本は認識しなければなりません。
“日本の事情は変わりました。
前の約束は無かったことにして、改めて約束を交わしたい”。
このように切り出すことがベストではありませんが、こう述べることで少なくとも次の議論への橋渡しは可能です。黙っていることが日米関係を最悪な方向へと導いてしまうのです。
“日本は宣戦布告をする気なのか?”
こう述べたアメリカ人の友人がいました。これにはドキッとさせられました。今の日米関係はそれほど微妙な状況にあるのです。

◆塾長日記2009年12月7日
●毒がある店主?
永福町に風変わりな天婦羅屋があります。
“塩で食べてくださいね”。
“あっ、それも塩が美味いですよ”。
“あっ、天つゆつけちゃダメですよ”。
万事こんな調子です。主人のご機嫌を窺いながら食事をすることになります。
“やっぱり塩だと美味いですね”。
こう言うだけで満面の笑みを浮かべる店主。
お客の側からすればアレコレと指図をされるのは御免です。でもこの店の天麩羅は実に美味い。だからこそ長年、営業ができているのだと思います。
“ミディアムでお願いします”。
“うちの肉はレアが美味いから”。
お客が肉の焼き方を決めることさえ許されない、そんな稀有なステーキ屋です。日本橋の裏路地の一角にあります。
同じものを食べても行く度に料金が違います。メニューがないのですから仕方がありませんね(笑)。ここのビーフカツレツは一度食べるとクセになります。だから通ってしまうのです。
“穴子ください”。
“今日はイマイチだからよしな”。
お客にこう“進言”する板さんはもう見かけません。
“今日は何が美味しいですか?”。
“マズイ寿司は置いてねえんだよ。
帰ってくれ”。
こんな板さんは今ではもう皆無ですね(笑)。
個性的な店主、毒がある店主は少なくなりました。チョッピリ寂しい気もします。
明朗会計で接客も抜群。今はこういう時代なのでしょうか。

◆塾長日記2009年11月12日
●会話はフワフワ感だ!
ただ話をしているだけで楽しい。こう思える相手がひとりでもいたら人生はかなり幸せなのだと思います。
“コレコレだから結論はコウだ”。
こういう会話は疲れます。
“結論を出すためでも、相手を言い負かすためでもない、
フワフワと漂うような言葉のやり取りが
何よりも幸せなことなんだと今は心から思う”。(重松清)
慌しい生活をしている私たちにとっては明確な結論が見いだせない会話が味気なく感じられるかもしれません。でも、建設的な会話や言葉をあえて放棄することも人生には必要なのだと私も思います。
“こう思うのよね”。
“なんで?”
こう切り出すと楽しいはずの会話も台無しです。“フワフワ感”が出てこないのです。私自身、こういう“フワフワ感”を自ら壊してしまっているような気がします。相手の言葉を妙に分析し心無い言葉を返してしまうのです。これでは相手も疲れてしまいますね。
“慌ただしい世の中に生きていると、
そういう「フワフワ」に罪悪感を感じるクセさえ出てくる。
けれど、恋人との会話、夫婦の会話、親子、兄弟姉妹、友達との会話には、フワフワしているものがあったって悪くはないでしょう”。
会話はディベートではありません。知識の羅列でもありません。会話とは理屈という次元を超越した“フワフワ感”なのです。
会話をデザートにたとえるならば、それはワッフルだと思います。シュークリームでもダメ。たい焼きでもダメ。フワッとしたワッフルの生地だからこそいくら食べても飽きがこないのです。
“会話はフワフワ感なのだ”。
えっ、
“どうしてだって”。
そんなことは聞くほうがヤボですよ!

◆塾長日記2009年11月11日
●私の話も聞いてください!
かつて自民党が取り組みを始めていた“ムダ撲滅運動”。メディアはすすんで報道を行いませんでした。ワイドショー的にはやや地味だった感があります。
いま民主党が行っている“事業仕分け作業”もムダを省くという点では実は自民党とは似たような試みです。違いはメディアが食らいつくような様々な“工夫”を民主党が凝らしたという点です。
“必殺仕分け人”。このラベリングが実に分かりやすい。悪代官をバッサリ切り捨てる様は誰の目から見ても爽快です。
査定の様子をリアルタイムで公開したことも成功でした。古今東西、民衆は“公開処刑”が大好きなのです。
仕分けの現場では実は地味な作業が行われているようです。メディアはその中から“美味しい部分”だけを切り取って報道します。これが民主党にとっては追い風になりました。
“自民党ができなかったことを民主党がやっているぞ!”
こういう勘違いをワイドショーがうまく演出してくれたのです。
しかし、落とし穴は意外なところに潜んでいました。鬼の形相で迫る女性議員の様子が繰り返し報道されたからです。“必殺仕分け人”が悪代官のように見えてくる。その様は絵的には実に面白い。
“私の話も聞いてください。
一方的にただ質問に答えろというのは心外です”
と必死に食らい下がる様を見せられると日本人は弱い。同情心が沸いてくるのです。
“削れ、削れ、また削れ。
ゼロになるまでまた削れ”。
公益法人のすべてが悪なのかどうか。意義ある文化的事業でさえも赤字であれば認められないのか。あるいはまた、すべての天下りが問題なのかどうか。こういったことを精査せずに削減を行うのだとすれば、日本が真に豊かになる道さえも閉ざされてしまうのではないでしょうか。

◆塾長日記2009年11月10日
●声のトーンで勝負する
“遅かったわね。
ご機嫌ですこと。
いい香がするわね。
なんの香かしら”。
どうやら奥様に浮気がばれてしまったようですね。
さて、人の気持は声のトーン(tone of voice)に表れます。スピーチの内容は素晴らしい。でも、何となくネガティブな印象を与えてしまうことがあります。
“言っていることには一理ある。
でも、なんかピンとこないだよなあ”。
言葉の意味は声のトーンで変化します。辞書的な意味合いは実に非力です。話し手の意図したこととは遊離した印象が一人歩きしてしまうからです。
アメリカでは暗唱(recitation)コンテストや詩の朗読コンテストが盛んです。同じ題材でも語る人が変われば受ける印象も変わります。印象を決定づける要素は顔の表情や見た目だけではありません。声のトーンも大きな役割を演じているのです。
物静かな日本人にとって声のトーンは厄介です。大袈裟に話す習慣がないため、トーンが一本調子(monotonous)になってしまうことが多いのです。スピーチではこの傾向が顕著です。
話している本人が、
“これじゃあ少し大袈裟かなあ?”
と思うくらいで丁度いいのです。
高い声と低い声。大きな声と小さな声。楽しい声と悲しい声。それらを意図的に使い分ける練習は思いのほか効果的です。自分が書いた文章をマーカーで色分けし声のトーンを意識的に演出してみるのです。
だれでも怒っているときは、声が大きくなり、また早口にもなります。ゆったりとした気分のときは、話し方もゆっくりとなります。無意識のうちにそうなっているのです。スピーチになるとそれができないのは意識的な練習をしていないだけのこと。
冒頭の奥様の“スピーチ”でさえ、声のトーンを練習するには格好の材料ですよ!

◆塾長日記2009年11月9日
●進化するオバマの演説
アメリカでは経済的な理由や病歴などのため民間の保険に入れない、入らない人が4700万人もいます。救急車を呼ぶだけで300ドルかかる国、運よく病院に運ばれてもクレジット・カードが拒否(decline)され治療が受けられない国、病気が原因で破産に追い込まれてしまう国、それがアメリカです。
それでも新制度に対する世論が二分するのはなぜか? “社会主義的”なシステムに対する根強い抵抗感があるからです。“富の配分”を素直に受け入れることができない国民性もあります。そんな現状を打破すべくオバマ大統領は演説を行いました。
But we did not come here just to clean up crises. We came to build a future. So tonight, I return to speak to all of you about an issue that is central to that future and that is the issue of health care.
(しかし、我々は危機を片付けるためにここに来たわけではない。我々は、将来を造りに来たのだ。だから今晩、私はその将来にとっての主要な問題についてあなた方全員と話すために戻ってきた。それは、健康保険の問題だ)
政治家の演説で最も大切なことは現実を踏まえ夢を語ること、明るい未来を語ることです。このことが党派やイデオロギーを超えて支持を得るための唯一の方法だということをオバマ大統領がいちばんよく知っているのです。
We will place a limit on how much you can be charged for out-of-pocket expenses, because in the United States of America, no one should go broke because they get sick.
(我々は、あなたが請求される自己負担額に限度を設ける。アメリカ合衆国においては、何人たりとも、病気になったからという理由で破産してはならないからだ)
演説の後半でオバマ大統領はこうも述べています。
But know this: I will not waste time with those who have made the calculation that it’s better politics to kill this plan than improve it. I will not stand by while the special interests use the same old tactics to keep things exactly the way they are. If you misrepresent what’s in the plan, we will call you out. And I will not accept the status quo as a solution. Not this time. Not now.
(しかし、これだけは知っていて欲しい:この計画を改善するよりは葬り去るほうが政治的に好ましいという計算している人々のために無駄にする時間はない。既得権益が物事をこれまで通りに保つ古い戦術を使用するのを私は指をくわえて眺めてはいない。計画にあることを誤って喧伝する者には呼び出しをかける。そして私は現状維持を解決とはみなさない。今回は。今は)
医療保険制度改革が必ずや実行されるというオバマ大統領の意気込みが感じられる演説でした。

◆塾長日記2009年11月8日
●I hope soってどんな意味?
“松井は残留すると思いますか?”
という質問にヤンキースのチームメートが、
“I hope so.”
と答えていました。
インタビューを観ていて私が感じたこと。それは彼らの話しぶりが妙に素っ気ない、表情が一様に暗いということでした。残留するかどうかは球団が決めること。でも松井には残ってもらいたい。だから“アイ・ホープ・ソー”。こう言うしかありませんね。
松井残留に関して選手たちは皆自分たちの意思が反映されないことを知っています。松井がおそらくは放出させるであろうことも知っています。それでも、聞かれたらとりあえずは返答しなきゃならない。その受け皿としての言葉が“アイ・ホープ・ソー”なのだと思います。
“アイ・ホープ・ソー”。実に不思議な言葉です。懐疑的な(skeptical)感じ、疑って(doubt)いる雰囲気が漂うのです。
“そうなってもらいたいとは思う。
希望はある。
でもダメかもしれない”。
こういう言外の意味が込められているような気がします。
さて、hopeは“強い希望”、wishは“実現しないかもしれない希望”と教えている先生がいました。ほんとうにそうなのでしょうか?
“I wish you a Merry Christmas!”
どのクリスマス・カードにはこう書いてあります。
“アナタに楽しいクリスマスが来ますように!”
間違いなくこういう意味のはず。絶対に実現されるという強い願いを込めて“ウィッシュ・ユー・ア・メリー・クリスマス”ですよね。hopeなんて使いません。
hopeとwishの違いを考えていたら眠れなくなってきました。
“今夜は眠れるかな?”
“I’m afraid not.”
こりゃダメだ。

◆塾長日記2009年11月7日
●外国人と地方選挙
米国で収入があれば誰でも米国の税金を払っています。反米的な国から来ている人も多数います。それでも選挙権を与えられるのは米国籍の国民だけです。永住権を持っている人にすら選挙権はありません。アメリカは開かれた国ですが選挙権だけは別です。
さて、日本はどうするのか? 日本に居を構える永住外国人に地方参政権を与えるか否か。非常に大切なテーマだと思います。
ネット等で検索を試みてこの問題に否定的な意見が多いことに驚かされました。
“断固反対!”
の声が圧倒的に多い。
オランダの例を引き合いに出されると否定的な意見を擁護したくなる気持も分かような気もします。
さて、日本には地域に根ざして頑張っている外国人がたくさんいます。そういう多くの“仲間”たちに協力を仰ぐ。様々な角度から意見を出してもらう。彼らの母国の歴史や習慣を幅広く紹介してもらう。このことが日本にとって利益になるのであれば私は積極的に門戸を開放すべきだと思っています。永住外国人に地方参政権を付与することでより豊かな日本が創造できるのであれば反対する理由はない。これが私の意見です。もっとも、反対する人の多くは不利益になるという理論を展開しているのですが。
“法案に反対する人達の多くの方の主張は『そんなに参政権が欲しければ帰化をして日本国籍を取得すればいい』という考え方があります。(中略)永住外国人のほとんど多くの人は日本で生まれ育って、まったくの日本人そのものであり、その人達が日本人として生涯にわたって生きていきたいと願っていることは、紛れもない事実だと私は思います。ただ、過去の併合の歴史や、それに伴う差別や偏見に対して心にわだかまりがあるのも事実なのです”(小沢一郎)。

◆塾長日記2009年11月6日
●貧乏人は麦を食え?
“今週は消費税ゼロ!”
ニューヨーク市が実施しているセールス・タックス・フリー・ショッピング・ウィーク(sales tax free shopping week)では500ドル以下の衣類と靴に関しては8.875%の消費税を免除する制度を年に数回、実施しています。生鮮食品や医薬品には元々、消費税がかかりません。外食にかかる税が免除される日をニューヨーカーたちは密かに期待しています。
アメリカでは各自治体がセールス・タックスを課税することができます。州や市が変われば税額が変わり、オレゴン州のようにまったく無税の場所もあればニューヨークのように9%近い税が課されるとこともあります。
セールス・タックス・ウィークは同時多発テロ後の消費低迷の打開策として始められ制度です。
さて、マクドナルドのビック・マックの価格を基準に世界の主要都市の物価比較をすることがあります。東京もニューヨークも物価の高い都市として毎年上位にランキングされています。しかし、食品に関しては東京よりもニューヨークの方が圧倒的に安いことは生活をしてみれば一目瞭然です。しかも無税ですからアメリカ人が太るのも頷けます(笑)
日本ではその昔、
“貧乏人は麦を食え”
と述べた宰相がいました。 今では麦もけっして安くはありません。
現政権は
“国民の生活が第一”
というスローガンを掲げています。これが本音なのならば食品に課税することだけでも即刻やめるべきではないでしょうか。無駄をなくすことで鬼の首を取ったかのように振舞われても困るのです。
“65歳以上の人同伴の場合、食料品は無税!”。
こういうシニア割りもいいかも知れません。日本のおじいちゃん、おばあちゃんたちがもっと大切にされるはずです!

◆塾長日記2009年11月5日
●ダメだったらどうしよう?
“つらいとは思わなかった。
野球が好きだから”。
ワールド・シリーズ制覇直後の松井選手の言葉です。シンプルな言葉ですが実に大きなヒントを私たちに授けてくれました。
“ダメだったらどうしよう”。
こう思うこと、それ自体が人生で最大の敵です。ダメだったときの心の準備をしてしまうと不思議と体がそれに慣れてしまいます。そしてほんとうにダメな結果になってしまうのです。
“ダメだったらどうしよう”。
こう考えない。失敗するかもしれないと考えてしまう僅かながらの隙間さえも封じ込めてしまう。そうすればアナタの人生は大きく動き出します。その屋台骨が“つらい”とは思わない、“好きだから”という感情です。仕事にも恋愛にもそして家庭にもこの法則が当てはまるような気がします。
つらいとは思わない仕事を選んだ、好きな仕事を選んだ。これが松井選手の凄いところです。
アナタも私もホームランを打つことはできないかも知れません。でも、つらいとは思わない仕事を選ぶこと、好きな仕事を選ぶことはできるはず。松井選手ができたことはアナタにも私にもできるのです。
“人生はそんなに甘くはない”。
眉間にしわを寄せながらこう発言する人がいます。こういう人がどんな人生をおくってきたのか、どんな仕事をしてきた人なのか、冷静な目で見つめ直してみる。そうすればおのずと結論は見えてくるはずです。
好きな仕事をし、好きな人と過ごし、好きな家庭を築くこと。これを妨害しているのが実は自分自身だった。こんなことを晩年になって気づいても手遅れです。
運や財力、タイミング、出会い等々、人生を成功に導く要素は様々です。それ以上に大切な要素、それが、
“つらいことは思わない。
好きだから”。
という感情だと私は思います。

◆塾長日記2009年11月4日
●
日本の平和は誰が守るのか?
“基地の賃貸料だけ負担してもらえないかな?
維持費や人件費はいいから。”
これが日米地位協定の始まりです。締結は1960年のことでした。
“もう少し経費を負担してくれないかなあ。
ベトナム戦争やドル安の問題で頭が痛いのよ”。
これが1978年に締結した特別協定です。“おもいやり予算”誕生のいきさつです。
その後、日本人勤務者の給与、米軍施設の高熱水費、建設費等々、“思いやり予算”の総額は2000億円を超えるまでに膨らんだのです。
“自衛隊を出すのかお金を出すのか?
こう迫られた日本は自衛隊の活動を活発にすることができなかった。だからお金を出し続けた。これが日本のお国事情です。
世界平和を大義名分に軍事力で圧力をかける国、それがアメリカです。
紛争、戦争が世界のどこかで勃発していないと困る国、それもアメリカです。
民主主義を旗印に自国中心主義を貫き通す国、それもまたアメリカです。
アメリカの傘の元で自国のアイデンティテーを見出せずにいる国、それが日本です。
元々、地位協定と安保条約はワンセットです。日本が攻撃されればアメリカは日本を守るために反撃します。でも日本がアメリカのために血を流すことはしません。この不均衡を補う役割を果たすのが地位協定です。守ってやるから“ショバ代”を出せとチンピラに脅かされているのに似ているような気もします。
“武力を盾に平和を維持することは難しいのではないか?”
911以降、アメリカ人の中にもこういう考え方をする人が増えました。
日本がすべきことは自力で平和を勝ち取る方法を模索することです。アメリカがお膳立てしたこれまでの方向性を日本がイニシァティブをとって軌道修正をする。これを実現することによってのみ日本は真の独立国になるのだと思います。
事の複雑さを言い訳にまっとうな議論を後回しにする。こういう姿勢を私たち自身が変えなければならない時期にきています。

◆塾長日記2009年11月3日
●ディベートは日本人には馴染まない?
@多面的角度から検討することにより事実を見落としたり誤解したりしないようにすること。
A詭弁や筋の通らない議論に反論し正しい結論へ導くこと。
弁論術というジャンルを構築したアリストテレス(Aristotle)の見解です。
“無用な対立を煽る”
あるいは、
“日本人には馴染まない”
等の理由でディベート教育に批判的は人たちがいます。こういう人たちを説き伏せることから事を始めなければならないのが今の日本の状況です。
与野党の議論がかみ合わない、議論が議論になっていない。こういう状況を見ていると日本という国が果たして“正しい”方向に向かってすすんでいるのか、懐疑的にならざるを得ません。日本の政治家もディベート教育を受けていさえすれば状況は変わっていたのではないでしょうか。
“意見の対立が必ずしも相手の人格を否定するわけではない”。
この真実を体感する唯一の方法は教育です。
“I disagree with you.
(君の意見には反対だ)
That’s why I don’t like you.”
(だからお前は嫌いだ)
とかくこういう雰囲気に陥りやすい風土が日本にはあります。この感覚から脱却し、まっとうな議論ができるようにするにはディベート教育がどうしても必要なのです。
子どもたちを2つのグループに分けて議論をさせる。議論が盛り上がったタイミングで先生が介入してハイ終わり。これでは芽は育ちません。
ディベートやパブリック・スピーキングに精通した若者の多くは民間企業に流れてしまっている。だとすればビジネスの現場で働く“精鋭たち”を教育の現場に召集すること、このことが事を好転させる最短距離だと私は思います。

◆塾長日記2009年11月2日
●熱狂のニューヨーク!
“ヤンキースが優勝すれば景気は戻る!”。
野球が生活の一部になっているニューヨーカーにとってこの言葉はけっして大袈裟ではありません。彼らにとってヤンキースが優勝するかどうかは人生の一大事なのです。
冷ややかなビジネス・ミーティングの席上であってもヤンキースの話題を口にするだけで雰囲気はガラリと一変する。こんなことも珍しくありません。ベースボールがアイス・ブレーカー(ice breaker)としての役割を果たしてくれるのです。
“I’m leaving the office early today.”
(今日は早退するからな)
ゲーム観戦をするためならば仕事をサボることに文句を言う人はいません。これがニューヨークです。
ヤンキースが遂にワールド・シリーズ進出を果たしました。プレミア・チケットの価格はオクトーバー・マッドネス(October madness)と呼ばれ、安価な席でも最低600ドル〜700ドル、フィールドレベルの良席であれば1万ドルを叩いても入手が困難な状況です。
背番号55のTシャツを着ている人は人種を問わずかなりの数にのぼります。スタジアムに限らずマンハッタンの街中でも55番をよく見かけます。ゴジラ松井の寡黙なひたむきさは確実にファンのあいだで浸透しているのです。メディアの前で英語を話したがらない松井がYESのインタビューに登場することは稀です。それでも松井の活躍を暖かい目で見てくれる地元のファンが多いことは嬉しい限りです。
能力さえ見せつけさえすれば年齢や国籍に関わらず認めてくれるのがニューヨークの人々の特色です。今期ワールド・シリーズでホームランを2本打っている松井選手が最高のパフォーマンスを披露できればゴジラ残留待望論が必ずや飛び交うはずです。

◆塾長日記2009年11月1日
●心にグッとこない?
朴訥(ぼくとつ)ではない。ましてや寡黙でもない。だからといって雄弁なわけでもない。鳩山首相の弁は実に奇妙に映りました。所信表明の演説です。
具体性に欠けるとか理想論だとかいった類の批評は評論家に任せることにしましょう。映像を繰り返し見て私が感じたこと、それは
“心にグッとくるような何かに欠けている”
ということです。首相の弁には初デートのような高揚感、心躍るようなインパクトが感じられないのです。
言葉の使い方は極めて丁寧で落ち着いた雰囲気もある。誠実な感じもする。パーティの席上でもおそらく品格を存分に発揮できる紳士、それが鳩山由紀夫という男の真の姿なのだと思います。
それでも聞き手の側が感じられる何かが欠落してしまっているのだとすれば、私はこれを放置する気にはなれません。スピーチの専門家として私はその原因を探りたい気持に駆られてしまうのです。
所信表明の原稿には素晴らしいことがたくさん書いてあります。遊説中に出会ったひとりのおばあさんとの出会い、チョーク工場での体験談を盛り込んだことは日本の首相の演説としては斬新だったと思います。アインシュタイン博士の“I believe”からの引用も英語がワカル人でなければできない芸当です。
こういう素晴らしい原稿を鳩山首相が読み上げると、その素晴らしさが削がれてしまうのは何故なのでしょうか? 私が抱く大きな疑問です。
オバマ大統領のスピーチをブッシュ前大統領が行ったら史上最低の演説になっただろう。こんな記事がアメリカの雑誌に掲載されていました。同様に、鳩山首相の所信表明演説を人気絶頂の頃の小泉元首相が行ったら恐らく大きな評価を得たのではないか。こんなことをつい想像してしまった私です。
首相の演説に私の心が動かされない原因。それは私自身が鳩山氏に抱いている不信感に起因するのかも知れません。

◆塾長日記2009年10月12日
●背広を着た奴隷?
“君の意見を言いたまえ。
好きなように発言してかまわないから”。
会議の場で上司からこう水を向けられ、
“業績が伸びないのは部長がアホだから”。
と発言した人がいます。私の友人です。この“事件”がきっかけで彼は会社を辞めることになりました。
今となっては笑い話です。その後彼は独立し今では熱血企業家として活躍しています。
日本の会議は独特です。自由に発言する場が会議のはず。それでも多くの人が口を閉ざしてしまうのはどうしてでしょうか。本音を吐露する場所はもっぱら居酒屋です。
“あの企画、おかしいよな。
絶対うまくいかないよ”。
居酒屋で“演説”をする日本人はみな饒舌です。会議室で口を閉ざしていた人物とは思えません(笑)。
“自分の意見は言わないほうがいい。
その方が身のためだ。
大樹に寄り添って生きるのがいちばんなのだ”。
事実、こういうタイプの人が出世していったという皮肉な歴史が日本にはあります。実に不思議な社会です。
日本の会議は実は会議ではなく、既に上層部で決定したことを確認(confirmation)するだけの儀式(ritual)なのではないか。こう考えると納得がいきそうです。
上司にゴマをすり、迎合し、徹底したイエスマンになりきる。指示されたタスクを黙々と遂行する背広を着た奴隷。これがサラリーマンの真の姿だと言えば失礼でしょうか。
“いいかい諸君!
キミたちにも一応、意見は聞いたよ。
責任はキミたちにもあるからね”。
言いたいことは言えない。それでも責任だけは負わされる。これでは心が磨耗してしまいます。
日本の企業が衰退しても最後まで存続するのが居酒屋です。サラリーマンが唯一、本音を語ることのできる居酒屋はサラリーマンにとって究極の憩いの場なのです。

◆塾長日記2009年10月11日
●我が成すことは吾のみぞ知る
“人から好かれたい”。
こういう感情に翻弄される人生は辛いと思います。
“人から好かれたことがない”。
これも辛い。
“どうせわかってもらえない”。
これもまた辛い。
人にわかってもらいたい、認められたい、好かれたい。こういう欲求に心を奪われてばかりいる限り、心の平安が訪れることはない。私はそんな風に考えます。
アナタの人生の最大の理解者はアナタ自身です。人は自分にだけは嘘をつくことはできません。自身の心の叫びに耳を傾けてみるだけで自分がどう生きたいのか、何を為すべきなのか、アナタには判るはずです。この声に蓋をしてはいけません。その瞬間に他人の評価ばかりが気になり始めるからです。辛い人生はこういうことから始まるのです。
人からどう噂されようが、どう評価されようがどんなことは今の時点ではどうでもいい。人はアナタの人格の断片だけを見て勝手に裁きを下しているだけなのです。そんな無責任な判断に一喜一憂する価値がどこにあるのでしょうか。評価に怯えることで本来の自分を見失ってしまうこと。これが人生最大の敵です。その時々の感情や思いつきで人は皆、好き勝手に発言するのです。
世の中の人は何とも言わば言え。我が成すことは吾のみぞ知る。(坂本竜馬)
他人の評価に身を任せるほど人生は長くはありません。大切なのは自分らしさをどこまでも貫くことです。アナタが行ったこと、いま行っていること、そして将来行うであろうこと。それらすべてのいちばんの理解者は他人ではなくアナタ自身なのです。

◆塾長日記2009年9月4日
●華麗なる勘違い人生?
“パパ、僕ね、プロゴルファーになるよ”。
“わかった”。
息子の進路がいとも簡単に決まってしまいました。会話は3秒で終了です(笑)。
彼が初めてクラブを握ったのは3歳の頃、亡くなった私の父に連れられて近所の打ちっぱなしによく出かけていました。
“この子は凄いぞ。
タイガーを越えるかも知れない。
オレにはそれが分かるんだ”。
こんな言葉を相手にする人はいませんね。“よくありがちな爺バカ”のたわ言です。
ところが人生とは面白いもの。この言葉がきっかで息子はゴルフにのめり込むようになったのです。
信じてる人、尊敬している人。こういう人の弁はときに人を大きく動かします。根拠や理屈とは無縁の世界です。大好きな爺の言葉だからこそ息子に与えたインパクトは大きかったのでしょう。
勉強はまあまあ、スキューバ・ダイビングは趣味程度、野球は娯楽。でもゴルフだけには本気です。こんな息子を応援しない理由はありません。
“プロになれなかったらどうするの?”
こういう考え方をしないのが私たち親子です。
“子どもの適性を見極めてあげるのが親の責務だ”。
陳腐な弁は無視するのが私たち親子です。
勘違いから始まったことを素直に受け入れる、勘違いしたまま突き進む。これが私たちの人生のノリなのです。
私は息子を厳しく育てました。悪さをしたときのお仕置きは庭石の上での正座です。朝まで正座をさせたこともあります。こんな私の前で息子はプロになることを誓ったのです。しかも自分の言葉で!
息子がタイガーになれない理由を挙げるのは簡単です。タイガーになれる理由もなければ、根拠も実績もありません。
“サインの練習もしておかなきゃな”。
“もう始めてるよ”。
私たちの勘違い人生はこれからが本番です。

◆塾長日記2009年9月3日
●好きなものを食べていいダイエット!
“好きなときに好きなものを食べる。
夜中に焼肉でもOK。
これがいちばんのダイエット法だ”。
こんな内容のスピーチだったと思います。
“食べちゃダメ”。
こういうスピーチは辛い。
“痩せるためのダイエット・メニュー”。
こういうのは面倒。
食べることを敵対視するようなスピーチは聞いていて心地よくありませんね。栄養士の先生が目くじら立てて語るようなスピーチはウンザリです。
今回のスピーチは私を確実に動かしました。
“自分にもやれそうな気がする”。
こういう雰囲気がスピーチで人を動かすコツです。
朝だから朝食を食べなければならない。食欲はないけど何か口に入れなければならない。こういう“ねばならない”の感覚がいちばんの敵だそうです。我が身を振り返ってみるとこのダメなパターンが実に多い。
“淡水化物が太る原因なんじゃないのかな?”
こんな疑問を持っていた私です。
体が欲しているものを欲しているときに食べること。どうやらこれがポイントのようです。淡水化物であろうとトンカツであろうと何でもOK。本当かな?
さて、食生活を変えて早2ヶ月あまり。私の体はミルミル大きくなり、顔はアンパンマンのようになってしまいました。
スピーチをした本人を詰問します。すると驚くべき真実が判明しました。
好きなときに好きなものを食べる。これは正しい。夜中に焼肉を食べる。これも正しい。でも、お腹いっぱい食べてはいけなかったのでした。好きなときに、好きなものを、少しだけ食べる。これがスピーチの結論だったらしい。ちゃんと聞いていなかった私が悪かった?

◆塾長日記2009年9月2日
●君は君、我は我なり。されど仲良き
“所詮、アナタと私は水と油ですね。
これほど考え方が違うとは思いもしませんでした。
お互いに別の道を歩きましょう”。
説得を試みる。それでもどうにもならないことがあります。意見の不一致というよりも価値観の違いから起こる不和のほうが多いかも知れません。思い入れの激しい人ほど、
“どうにかして相手を変えたい”、
と思いがちです。それが空を切るとその瞬間に牙を剥くのです。
“君は君、我は我なり。されど仲良き”。(武者小路実篤)
的を得た言葉だと思います。
相手に迎合する生き方は私は好きではありませ。迎合される人生も御免です。だからといって不和に満ちた人生もまた厄介です。
意見は一致しない。むしろ対立することのほうが多い。それでも仲が保たれる友人をどれだけ多くも持っているか。これが充実した人生のバロメーターになるような気がします。
“君は君、我は我なり”。
だから互いの人間関係は解消しましょう。これでは人生は面白くない。
男女関係にもこのことが当てはまると思います。
“なるほどそういう考えもあったのか。アッハッハ”。
心の余裕がある男性は魅力的です。
“なるほどそういう考えもあるのね。オホホ”。
こういう女性も魅力的です。
水と油ではあっても互いに相手を認め合う姿勢、こういう姿勢が実りある男女関係を築きあげるのだと思います。
“自民は自民、民主は民主。そして仲悪し”。
政党と政党の関係とは所詮こんなものなのでしょうか。

◆塾長日記2009年9月1日
●自由で民主的でない自由民主党?
日本が民主国家ならば、自民党が民主的な政党ならば、首班指名に誰を投票しようと、個々の政治家の意思に任せればいい。私はこう思います。
“国民にNOを突きつけられた麻生さんに投票するわけにはいかない”。
そう思うならば誰か別の人に投票すればいい。
“首班指名の前に自民党総裁を終えなければ国民は納得しない”。
そう思えば選挙を急げばいいのです。
国民はそうは思ってはいません。野党自民党の総裁が誰であろうと私たちの多くは気にも留めていないのです。
“今回、落選したら俺の人生はもう終わりだ”。
こう述べていた竹馬の友は激戦の末、選挙区で落選、比例で復活当選を果たしました。自民党再生のために人生を賭けると意気込んでいます。
経済が右肩上がりの時代であれば、利益誘導型の政治にもそれなりの意義がありました。時代は変わったのです。
“お前の考え方って民主党みたいじゃないか。
離党して民主党に行けば?”。
こんなことを自由に言い合えるのも幼馴染だからこそ。一方的な私の言い分を聞かされる彼が気の毒な気もします。
組織に縛られ、組織に迎合することで一政治家の運命が決まる。これは紛れもない事実です。だからといって野に落ちた党の首班指名さえも縛られてしまうのだとすれば、その政党が自由で民主的な政党なのか甚だ疑問です。
自由民主党が真に民主的な政党に再生されたとき、そのときに日本の2大政党制が始まるのではないでしょうか。

◆塾長日記2009年8月31日
●スピーチは爆発だ!
今この瞬間を爆発するようにエネルギーを注入すること、瞬間の密度を濃くするように生きること。故岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』はこの大切さを再認識させてくれる名著です。
私たちは過去や未来について考えることに労力を注ぎます。その割には今を、この瞬間を本気で生きることには少しばかり無頓着なのではないでしょうか。私自身、過ぎてしまったことに心を奪われ、まだ見ぬ先のことに不安を抱きながら日々を過ごしています。
“芸術は爆発だ”。
岡本氏が残した名言です。人を動かす源はすべて爆発なのではないかと私は思います。
スピーチも爆発です。聞き手の五臓六腑にズシリと染み渡る、そんなエネルギーを一気に爆発させること。これが出来るかどうかがスピーチの評価を大きく左右します。
過去を捨て、未来をも捨てる。そして今、この瞬間にすべてのエネルギーを注入する。こういう心構えが人を動かすスピーチの起爆剤です。今が過去と未来をつなぐ通過ではいけないのです。
話し方は人それぞれです。絶叫が似合う人もいれば、ソフトな語り口が得意な人もいます。スピーチらしいスピーチではなく、その人の心の叫びが素直に伝わり、共感を呼べるかどうか。その決め手が爆発なのだと思います。
“自分のいのちを純粋に賭ける為に、ぼくは芸術の道を選んだといってもいい。
芸術はまったく自由である。
現在、多くの人が失っている自由をとりもどす為に芸術は大きな役割を持っている。
ぼくは朝から夜まで、まる一日、絵を描き、文章を書き、彫刻にナタをふるう。
全部まったく無条件に自分を外に向けて爆発させていく営みだ。
この瞬間に、無条件な情熱をもって挑む。
いのちが、ぱあっとひらく。
それが生きがい。
瞬間瞬間が新しい。
好奇心といえば、これが好奇心の源だろう”。

◆塾長日記2009年8月30日
●敗戦の弁こそ大切
聞き手を鼓舞・激励すること、夢と希望を与えること、そして動かすこと。これがパブリック・スピーキングの醍醐味だとするならば、政治家の敗者の弁は一体何なのか、興味深いところです。
“大変厳しいものになりましたけれども、
国民の皆様の意見を真摯に受け止め、
反省しなければならない”。
こういう弁を前に私たちは鼓舞・激励されることもなければ、夢も希望を与えられることもありません。惚れた女性に見捨てられた惨めなオトコのたわ言にも劣ります。
負けたときにこそ正々堂々と明るく朗らかに語るべきだ。私はこう思います。大躍進を遂げた民主党を素直に讃えればいい。全力を尽くした自分を讃えるのもいいでしょう。大切なのはどちらの側が勝利するかではなく、日本という国がより豊かで住みやすい国になるということなのです。
報道番組を見ながら私は大統領選で敗北したマケイン氏(John MacCain)の敗北宣言のスピーチを思い出していました。
“In a contest as long and difficult as this campaign has been, his success alone commands my respect for his ability and perseverance. But that he managed to do so by inspiring the hopes of so many millions of Americans who had once wrongly believed that they had little at stake or little influence in the election of an American president is something I deeply admire and commend him for achieving.”
(この大統領選は、長く厳しい戦いでした。彼の成功には、彼の能力と忍耐を尊敬せざるを得ません。彼には勝ち目がない、あるいはアメリカの大統領選に何の影響力も持たないだろうと誤って思い込んでいた何百万人ものアメリカ人たちに、希望を与えた彼の努力に深く賞賛します)
国民性の違い、文化の違いだけで片付けられることではないと思います。影響力のある立場に置かれた人の言葉がどれほど重みのあるものなのか、このことを日本の政治家にも学んでいただきたいのです。
死闘を繰り広げて闘ったスポーツ選手、彼らがお互いの健闘を讃えあう姿が私は大好きです。こういう清々しさが日本の政治家には欠落しているような気がします。

◆塾長日記2009年8月29日
●豊かな森が広がっているらしい
人生をドアにたとえてみると面白い。
確実に言えること、それは
“人生は自動ドアではない”。
ということです。
ドアの前に立ちすくみ協力者が現れるのをじっと待つのも人生。カギをこじ開けてみるのもまた人生。あるいは破壊したり穴を掘ってみることも人生です。
開けた先に何があるのか? こればかりは開けてみなければわかりません。巨大なドアの向こうには財宝が隠されている。こう思って開けてみた先には広大な砂漠が広がっているかも知れません。苦労が報われることもあれば報われないこともある。これが人生です。
“自民党にはもう懲り懲りだ”。
ドアの前に立ちすくむ人の数は激減しています。大多数が民主党のドアの前に大移動を始めたようです。
“あっちのドアの先には豊かな森が広がっているらしい”。
そんな噂は私の周辺からも聞こえてきます。
私たちの多くが自動で開いてしまう自民党のドアとは決別し、新たなドアを自力で開けようとしています。大きな第一歩です。人生が、そして政治が、自動ドアではないことに国民は気づいたのです。
ほんとうの勝負はここからです。豊かに見える森も開拓しなければいずれは砂漠になってしまうのです。木の実や果樹を食べ尽してしまうのは簡単なことです。
選んだ扉の先に広がる広大な土地、この土地を開墾するのは政治家ではなく私たちです。この認識を誤った国家は繁栄しません。ドアが自動ではないのと同様に、開墾もまた自動ではないのです。

◆塾長日記2009年8月28日
●遊びの体験値を増やせ!
話し手とテーマが完全にシンクロするスピーチ。これが上手なスピーチです。
“Why are you concerned?”
(どうしてアナタがそんなスピーチをするのですか?)
老人介護と接点がない人が介護のスピーチをしても聞き手の側にはピンときません。介護の経験もなければ身近にそういう人もいない。そういう人が唐突に介護の話を語ると滑稽に響きます。話し手とテーマが遊離しているためです。
“パラオに旅行に行く度に思うことがあります。
小島がどんどん少なくなっているのです。
以前バカンスで過ごした無人島が海の中に沈んでしまったそうです。
温暖化の影響は実に深刻です”。
これが上手なスピーチです。海面上昇を目の当たりにしたアナタの体験がそのままスピーチの素材になり得るのです。
“体験値が少ない人はどうすればいいのでしょうか?”
誰でも抱く疑問だと思います。そういう人はスピーチをする必要はない。残念ながらこれが偽らざる真実なのです。
話し手とテーマがピッタリと一致すること。この条件が整ってはじめて人の心を打つスピーチが完成します。そのためには豊富な体験値がどうしても必要です。
“All work and no play makes Jack a dull boy”
(よく遊びよく学べ)
有名な諺です。このboyをspeakerに変えてみれば分かりやすいと思います。勉強や仕事ばかりしていて遊びをしなければジャックはdull speaker(面白みのないスピーカー)になってしまうのです。
スピーチ上手になるための条件。それは遊びの体験値を増やすことです。非日常の体験値を増やし素材の引き出しを豊富に蓄える。これだけでアナタのスピーチはキラリと光るものになるのです。

◆塾長日記2009年8月27日
●朝、目覚めたら霞ヶ関にいた!
ごく普通の人、どこにでもいそうな平凡な一国民。こういう人でも政治家になれるようなシステムができないものでしょうか。
小選挙区と比例区に加え、“抽選区”を設ける。これが私の提案です。無作為に選んだ人にそのまま国会議員になってもらうのです。@本人が望んでいることA納税をしていることB日本語運用能力があること等の条件をクリアすれば誰にも政治家として国政に参画できるというシステムです。性別や学歴、職種等には一切の制限は設けません。普通の国民の普通の国民による普通の国民のための政治です。 渦中(かちゅう)を”うずちゅう”と読んだ元財務大臣は審査で落とされてしまいますね。
宴席で現役の友人に”抽選区”の話をしたことがあります。
“ハハハ、面白いこと言うね。
政治の世界は福澤さんが考えているほど甘くはないんだよ。
だから素人は困るんだ”。
私も黙ってはいません。
“プロの政治家に任せてこんな日本になったんじゃないか”。
八百屋の主人、喫茶店の店主、サラリーマン、塾講師や芸術家等々、政治に興味があっても政治家になることはおそらくないであろう人々。こういう人たちに国政を担ってもらうのが“抽選区制度”です。
国民の代表は選挙で決めるのが民主主義の原則です。“抽選区”のシステムには多くの弊害や問題点もあることでしょう。ただ、“プロの政治家”や“政治屋”と言われる人たちに任せた結果が今の日本であるということ、このことも忘れてはいけません。誰に投票したらいいのか分からない、支持政党がないという人たちがいることも事実なのです。
既成の概念を打ち破るような大胆な改革を行うべきときが来たのです。今こそ選挙のシステを根底から考え直さなければならないのではないでしょうか。
“抽選区”でアナタが衆議院議員に選ばれたらどうするか? こういう感覚で今週の選挙を考えてみると面白いかも知れません。

◆塾長日記2009年8月26日
●謝罪会見のようなオーラ
麻生首相が街頭演説で“おわび”をやめることが報道されていました。
スピーチで詫びること、へりくだるとは得策ではありません。謝罪会見のようなオーラは百害あって一理なし。これがパブリック・スピーキングの基本です。
非力な自分をあえて露出し謙虚な人物像を演出すること。日本人が好むスタイルです。スピーカー自身が非力に映れば“いい人”を演出することはできるかも知れません。しかし同時にリーダーとしてのクレディビリティー(credibility)を失うことになってしまうのです。このことに鈍感なままスピーチをする人があまりにも多い。
“麻生さんも苦労するなあ。
どうやら悪い人ではなさそう。
おじいちゃんなら最高。
お小遣いたくさんくれそう。
でも総理としてはダメ”
“おわび”でスピーチをすると、こういうレッテルを貼られてしまうのです。
明治の時代から続いている日本式スピーチはもう時代遅れです。総理周辺にこのことに気づいている人が少数派であるのは残念です。
“おわび”とはつまり過去の釈明です。街頭演説がこれではいけません。過去に執着するスピーチは誰も期待していないのです。人は今と未来に生きています。スピーチも同じく未来志向です。夢と希望を言葉で具現化し幸福感を呼び込むことがスピーカーの責務なのです。
“オレに任せろ。
オレについて来い。
オレが責任を取る”。
これを真摯に語るのが演説です。希望が持てれば景気も回復します。大袈裟な話ではありません。閉塞感とはそもそも人が作り出した幻想です。未来像を示し、リードし、実現すること。これが政治家の仕事です。

◆塾長日記2009年8月14日
●見せかけの飴に心を奪われる
“政治信条をズバッと言う。
党には気兼ねしない。
50年後を見据えた独自の政策を打ち出す”。
こういう政治家を支持する人たちが増えるまでにはもう少し時間がかかりそうです。
国民を振り向かせるには飴とムチのバランスが肝要です。飴が9でムチが1。こうでなければ大衆を納得させることは難しい。これが現実です。
国民もバカではありません。苦味の飴ではないかと薄々気づいてはいる。それでも目の前に飴を差し出されると思わず手に取ってしまうのです。
“無駄遣いを減らします”。
飴の一例です。こういうフレーズが日本人には受け入れられやすい。“質素倹約”が日本人の心の機微に触れる言葉なのです。
日本が車社会になることを想定できなかったのは誰か?
似非の民主主義とホンモノの民主主義の違いを曖昧にし続けてきたのは誰か?
中国やインドの台頭を予想できなかったのは誰か?
国家の舵取りをしているのは政治家のように見えて実際には私たち国民なのだということ。このことに私たちは気づかなければなりません。
マニフェストに記されている飴を容易に口にして食べてみたら苦かった。こういう愚を繰り返す時代はもう終わりにしなければなりません。
政治家を批判することは大切です。もっと大切なこと。それは私たち自身のこれまでの姿勢を批判することです。見かけの飴に心を奪われてきたこと。物欲にまみれた生活を享受することだけに関心を向けてきたこと。このことを猛反省しなければならないのです。
“日々の生活さえ守られればそれでいい”。
大多数の人がこう考えている国はいずれは滅びます。私たち一人ひとりが社会にどう貢献できるのか? このことを真剣に考えることが未来の扉を開く唯一のカギだと私は思っています。

◆塾長日記2009年8月13日
●目指せ“専業主夫”!
女性の側が仕事をしてくれるなら専業“主夫”になってもいい。私はこう考えています。
“俺は仕事をしてるんだ。
家事や育児なんかしてる暇はない”。
こういう考え方をしていた私のライフスタイルが変わったのは今から5年前のことです。我が家が突然、父子家庭になったのです。
“専業主婦じゃ、つまんない”。
“嫌ならやめれば”。
思わず私が口にした言葉。このことが発端で私は仕事と家事の両立を迫られたのでした。
“アナタに育児や家事はできないわ。
私には分かるの。
ギブアップするのは目に見えてるわ”。
“主夫”になってみて私が気づいたこと。それは育児や家事に適性は関係ないのではないかということです。私自身がその証明でもあります。
“できることなら育児や家事はしたくない”。
こう考えている限り“主婦業”も“主夫業”も勤まりません。
“育児や家事は仕事の邪魔になる”。
こういう考え方も間違っていると私は思います。
私は育児から多くのことを学びました。家事をすることからも多くを学びました。仕事とのバランスを取る工夫もできるようになりました。そして今の私があります。
“先生もたいへんですね。
再婚しなきゃダメですよ”。
こういう言葉を投げかけられるとカチンときます。私は自分が“主夫”であることに誇りを持っているからです。
“育児と家事に専念できるならば、そういう人生もいいなあ”。
こういう風に考える私は平均的な日本の男性とは少し違うのかも知れません。

◆塾長日記2009年8月6日
●意外に大切な飽きる力
“飽きっぽい人はダメ。
こういう人は何をやっても成功しない”。
飽きずに物事を続けること。そのことで一定の成果が期待できることを私たちは知っています。継続は力です。このことに間違いはありません。
さて、飽きっぽい人がダメなのかといえばそうでもないと私は思います。飽きることが悪いのではありません。すぐに飽きてしまうようなことにしか矛先が向けられないこと、このことが不幸なのです。
飽きるという“作業”は飽きない“何か”を見つけるための第一歩です。飽きることにもっと前向きになる。飽きることに飽きてしまうくらい飽きることに積極的になる。こういう紆余曲折を経て私たちは飽きずに専念する“何か”を見つけることができるのです。
飽きっぽい人などこの世にはいません。飽きることのない“何か”を見つけるチャンスに遭遇しなかっただけのことです。
“飽きっぽい自分を正さなければならない”。
こう自分に鞭を打ち時間を費やすことに一体どんな意義があるのでしょうか。飽きっぽさから脱却した頃にはもう人生が終わってしまうのです。
“何か”を見つけて一心不乱に人生を歩んでいる人。そういう人の姿を生で見る、できることなら話をしてみる。こういう経験は思いのほか大切です。人だけではありません。日常では遭遇することのないような大自然に身を置くこともチャンスを広げる契機になるはずです。それが食べ物であることもあるでしょう。
飽きてしまう人を叩くのではなく、飽きない“何か”を見つける作業を一緒にしてあげること。これが教育だと思います。親と教師の責任は重大です。

◆塾長日記2009年8月5日
●捻じ曲げられた報道
”米国民の6割超が原爆投下は正当”。
日本のメディアがこういう報道をすることで誤解や不信感が増幅されてしまいます。
私が知っているアメリカ人で原爆投下が“正しかった”と表明する人はいません。すべてのアメリカ人を知っているわけではありませんが、
“right action(正しい行為)ではなかった。
戦争を終わらせるためには仕方なかった”。
これが彼らの考えていることの大筋です。
“原爆を使用すべきだったか?”
こういう聞き方をすればほとんどのアメリカ人はNOと言うはずです。恣意的に調査された調査をさらに恣意的に報道する。本来のアメリカ人の考えと遊離した印象を醸し出すことになります。
オバマ大統領はチェコ・プラハでの演説で原爆投下国としての“同義的責任”に触れました。このこと自体が大きな第一歩です。
正当化(justify)を持ち出すのはアメリカ人の得意技です。
“原爆を投下したから戦争が終わったんだろう。
他に方法がなっかったじゃないか。
どうすればよかったって言うんだ?”。
口ではこういうことを平気で言うのがアメリカ人です。でも、心の中は罪の意識に苛まれてるのです。これが彼らの本音です。
捻じ曲げた報道で日本人の感情を逆なでする。これによって新たな怨念が生み出されるのだとすれば、これもまた大きな罪だと思います。

◆塾長日記2009年8月4日
●よい夫婦って?
“花子さん、幸せにするからね”。
“太郎さん、愛してるわ”。
そして10年後。
“幸せにするって言ったじゃない”。
“えっ。ガタガタ言うなよ?”。
夫婦で築くのが家庭です。
“あんなダメ男だとは思わなかったわ”。
たしかにそうかも知れません。出世は遅いし頼りない。たまの休日には家でゴロゴロしてばかり。こんな夫に魅力を感じないのも当然です。
男性にも言い分があることでしょう。三段腹にジャージ姿。これが定番では燃えようがありませんね。
国家にも同じことが言えると思います。男女のどちらが政治家であるかの議論は別にして、政治家と国民の信頼関係は今や末期症状、家庭内離婚にも似た状況です。
自民党がダメな理由を挙げたらきりがありません。太郎さんと同じです。それでも、ここまで自民党を腐らせてしまったのは国民です。このことを棚に上げて非難ばかりするのは少しばかり身勝手です。三段腹になってしまった花子さんにも責任があるのですから。
マニフェスト選挙が定着しつつあること自体はよい傾向です。
“どっちがいいマニフェストかな?”
両方いい(笑)。どの政党のマニフェストにも魅力的な言葉が並んでいます。支持政党も大切ですが実行・実現するのは個々の政治家です。人物優先で選挙を考えることもまた大切だと思います。
国際会議の場で泥酔、醜態をさらけ出した人がかなりの盛り返しをしているようだ。こんな噂を耳にして愕然としてしまった私です。
“What is required of us now is a new age of responsibility.”
(いま私たちに求められているのは新たな責任の時代だ。)
オバマ大統領が就任演説で語った言葉が思い出されます。

◆塾長日記2009年8月3日
●スピーチが下手なのではない
“思っていることがなかなかスピーチにならないんです”。
こういう悩みを打ち明ける人は少なくありません。
“思っていることが”何なのか、それがスピーチにならないのであれば、それを文章に書いてみればいい。簡単ですね。
“思っていることを文章に書いてみてください”。
“はい。書いてみます”。
そしてどうなるか? 大概の人はこの時点で筆が止まってしまうのです。社会的地位、経済力、年齢とはほぼ無関係です。“思っていること”をスラスラ文章に記すことのできる人が意外にも少ないのです。真面目な人ほどもっと悩むことになります。
“自分はスピーチだけでなく、文章を書くことも不得意なのだ”。
大切なのは“思っていること”それ自体が存在していることです。このことに焦点をあてて考えてみれば原因はハッキリと見えてきます。
深く考えること。誰よりも深く、どこまでも深く考え抜くこと。脳ミソが擦り切れるくらいディープに思考する。こういうプロセスを経て初めて“思っていること”が生まれるのです。何となく感じていることと“思っていること”を混同してはいけません。
“どう考えているんですか?”
“自分でも分かんなくなっちゃったぁ”。
こういう人がスピーチをしてもうまくいきません。文章も同様です。要するにバカじゃダメなのです。これが私が力説したいことです。
スピーチのトレーニングをすると誰でも壁に突き当たります。深く考えることをしてこなかった愚かな自分が鮮明に見えてくるのです。スピーチが下手なのではない。文書が下手なのではない。薄っぺらなひとりの人間がそこにポツンと存在しているだけのことなのです。

◆塾長日記2009年8月2日
●漠然としたit?
“Take it easy”.
このitがいったい何を指すのか? こういう疑問をスパッと解決してくれる先生がいたら私の人生はもっと違ったものになったような気がします。
第5文型だとか、指示代名詞だとかそんなウンチクはどうでもいい。妙なモヤモヤ感から開放できさえすればそれでいいのです。
“面白いこと考えるね。
漠然としたit。
こう考えるのが自然じゃないかな。
とくに何を指すわけでもないから”。
編集者として仕事を始めた頃に先輩から聞かされた説明です。こういう人が本来、英語の先生になるべきなのでしょう。当時の私はそう感じました。
説明が正しいかどうかが問題なのではありません。生徒が納得できるような説明ができること。これが英語教師に求められる“説得力”なのです。
私が今、itの解釈を求められたら、
“空気を読むit”
と説明します。とくに何を指すわけでもないけれども、会話の流れの中に感じられる空気、その雰囲気を何となく指すit。これが“妥当だ”と私が感じる説明です。
“気楽にどうぞ”。
こういう陳腐な日本語訳はもうやめたほうがいいと私は思います。
“アナタの味方ですよ”。
とか、
“陰ながら応援しているよ”。
とか、本来こういう意味なのではないでしょうか。翻訳一辺倒のノリで無理に造作した日本語はどうしても不自然です。
箱根の森で映画のDVDを観ながらこんなことを考えていた福澤です。

◆塾長日記2009年7月22日
●スピーチとたわ言の違い
“引きこもり?
食事を出さなきゃいいんですよね。
兵糧攻めが解決法ですよ”。
乱暴に響くスピーチですが私は興味深く聞き入ることができました。
自分の信念をズバッと言い切る。これがスピーチの醍醐味です。新聞の社説や学者が言っているようなスピーチは“嘘くさい”。
“心のケアーが大切です。
今こそ家族のあり方について考え直さなければなりません。
言っていることに間違いはない。それでも心に響きませんね。言い尽くされているようなスピーチは誰も聞きたくないのです。こういうスピーチを私は“たわ言”と呼んでいます。
“たわ言”でお茶を濁していさえすれば敵はつくりませんが人を動かすこともできないのです。
引きこもる人も問題ですが容認してしまっている家族や親がいることもまた事実。このことに焦点をあて、
“腫れ物に触るような気遣いは教育ではない。
引きこもっている人たちはダメ親の被害者なのだ。
唯一の解決法はダメ親の再教育にある”。
私が聞いたスピーチはこういう趣旨でした。
反論されることを恐れずに言いたいことを言い切るかどうか、ここが大切なポイントです。聴衆から賛成を引き出すことだけがスピーチの目的ではないのです。タブーに正面から切り込み聴衆の反感を買うことができればそれもまた“いいスピーチ”なのです。
スピーカーとして最も避けなければならないこと。それは反論ではなく無関心。聴衆の無関心を呼び込んでしまうのが”たわ言”です。
もっともらしく語る学者たちの考えが正しいのだとすれば、引きこもりの問題は遠の昔に解決されているはずです。
アナタのスピーチが聴衆から反論されればそれは失敗ではなく成功なのです。

◆塾長日記2009年7月21日
●今の自分を変えたい
“私は怠け者です。
どうにかきっかけをつかみたいと思っています。
よろしくお願いします”。
スピーチの指導をしていて気づくこと。それは今の自分を変えたいと思っている人が思いのほか多いということです。自分を変える仕事を他人任せにしようとすること自体そもそも間違っていると私は思います。
“自分探しの旅に行こうと考えています”。
そういう人はなかなか旅に行くことはありません。行ったとしてもそれは単なるレフレッシュであって自己改革ができるような旅にはなりません。
“やっぱり日本で英語を勉強してもダメですね”。
こういう台詞を残して渡米し英語の達人になった人を私はこれまで見たことがありません。
他人に頼ったり旅に出たりすることで自分を変えることはできないのです。住処を変えたり髪の毛を切ったりすることは単なる気休めに過ぎません。
自分を変えるという言葉を使う人ほど何年経っても変わらないものです。外見はますます劣化し中身は以前のまま。これが不幸な人生へのパスポートです。自己改革とは重みのある言葉です。たやすく口にしてはいけません。
物事にはきっかけがあります。自己改革も同様です。きっかけはどこまで行ってもきっかけです。きっかけを掴むことと自分を変えることはそもそも次元が異なるのです。ここをはき違えている人が実に多い。ハウツー本を片手に自分を変えようとする人がいます。実に滑稽です。
“ホンモノの怠け者”は自分が怠け者であることを認識していません。ある意味、幸せな人です。自分が怠け者だとアナタが認識しているのだとすれば、変わる唯一の方法はアナタ自身が変わることです。他人にすがったり旅に出ることで自分を誤魔化してはいけないのです。
自分を変えたければ自分を変えることに全力投球する。これでいいのです。こういう気持を3年間持ち続ければ人は必ずや大きく成長するはずです。

◆塾長日記2009年7月20日
●男の優越感を刺激する
“ねえ、これって、どうなっているの?”
“面倒だな。自分で調べろよ”。
男性からこう言われてどう反応するか、これで女性の価値が決まります。
男は優越感の生き物です。頼りにされることに大きな喜びを感じるものです。恋人であろうが仕事仲間であろうがこの法則が当てはまります。お願い事をして嬉しく思わない男はこの世には存在しません。
男がブツブツ言うのは単なる照れ隠しです。心の底では実は嬉しくてたまらなないのです。でもその喜びの気持をストレート表現することができない、それもまた男なのです。とりあえず面倒がってみる。このことが男の虚栄心を満たしてくれるのです。だから男が吐く言葉に翻弄されてはいけません。
“分からないから聞いてるのよ”。
これが最低の返しです(笑)。本音ではあっても口にしてはいけない言葉です。
”ごめんなさいね。
いつも迷惑ばかりかけて。
でも××さんしか頼りにできる人いないから”。
たいがいの男性はこれでノックダウンすることでしょう。天にも昇る気持になってしまうはずです。男性の優越感を刺激することは想像以上に効果大なのです。
“私はそういうのはイヤ。
思ってもみないことを言葉にするなんてウソっぽい。
私のカレはあるがままの私を受け入れてくれるから”。
こういう”哲学“も悪くはありません。でも相手の側があるがままのアナタを心の底から受け入れてくれているのかどうか、そのことを男性はけっして口はしないものです。女性が女優を演じるように男性も俳優になることがあるのです。

◆塾長日記2009年7月19日
●ダブルの虹をくぐれ!
沈む太陽がキラキラと輝く中、突然、大雨が降り始めました。箱根から都内に戻る車中での出来事です。
“こういう日に虹が見えるんだよな”、
と私がホノルルでのうんちくを語った瞬間、東京の空に巨大な虹が出現しました。二重に架かる虹を見るのは生まれて初めてです。携帯で写真を撮ることはしない私ですが今回ばかりは連射してしまいます(笑)。
“よ〜し。
今日は虹をくぐってやるぞ”。
瀬田を超えて首都高に入ります。環状線をグルグルとまわりながら思わず童心にかえってしまいました。虹をまたぐ体験はまたのおあずけです(笑)。
虹は単なる自然現象ですが私はこれまで何度か不思議な体験をしています。北海道の屈斜路湖で龍を見たことがあります。この話をすると
“湖に雷でも落ちたんじゃないの”。
と誰も信じてくれません。湖畔にある知人の別荘での体験です。
伊豆の達磨山で見た未確認飛行物体も忘れられません。夜空が一瞬だけ昼のように明るくなったのです。
渋谷の空にオレンジ色の物体が落下したのを目撃したこともあります。東京天文台に電話を入れ調べてもらうよう懇願しましたが一方的に電話を切られてしまいました。
偶然、空を見たらその日が皆既月食だったこともあります。間抜けですね。マウイ島での体験です。
私の不思議体験はすべてが偶然の出来事です。その日たまたまということが多い。22日の皆既日食はどうなるのか今から楽しみです。

◆塾長日記2009年7月18日
●“仮想の自信”を身につけよ!
“自分に厳しく他人に甘い”。
こういう人生訓をスピーチに当てはめる必要はありません。スピーチに関してだけは、
“他人に厳しく自分に甘い”
と考える方が懸命です。
華麗にスピーチをする人と自分を比べ己を卑下する。これでスピーチが上手になることはありません。むしろ逆効果です。コンプレックスが新たなコンプレックスを生み、スピーチに対して臆病になってしまうからです。
自信を持つには他人のあら捜しをすることがいちばんです。家族、友人、先生、同僚の話し方を観察してダメなところを列挙するのです。
“自分はスピーチが下手。
だから頑張らなければならない。
欠点を矯正しなければならない。
上手にならなければならない”。
こういう考え方を放棄させることから私の指導は始まります。“ビクビク・モード”から脱却してあるがままのアナタを素直に表現する。こういうスタンスで指導をすることで“仮想の自信”が身につくのです。
“仮想の自信”を身につけないまま小手先のテクニックだけを学んでも心打つスピーチができるようにはなりません。スピーチに自信がない人がハウツー本を読んでみても効果が出ないのはこのためです。
“仮想の自信”を身につけることは大切です。主役であるアナタをサポートする影武者、それが私であり、私の仕事でもあるのです。

◆塾長日記2009年7月17日
●“早く終われ光線”を見逃すな!
“とりあえず現況を報告させていただきます”。
よくありがちな口上です。どうして“とりあえず”という言葉で話し始めるのでしょうか。明確な目的(specific purpose)が定まらないままプレゼンを始めるからです。プレゼンを通して自分が貫きたいメッセージが明確であれば“とりあえず”という言葉を吐く余裕はないはずです。
“聞き手がその情報を欲しているか?”
このことには敏感であり過ぎるくらいでちょうどいいのです。
聞き手が利益を求めている。ならば利益に焦点を当てる。
聞き手がロマンを求めている。ならばロマンに焦点を当てる。
聞き手が社会貢献を求めている。ならば社会貢献に焦点を当てるのです。
聞き手の側が求めてることにエネルギーを注入する。相手が求めていることに特化する。これがプレゼンを成功させる絶対条件です。
“現状が厳しいのは分かったから早く結論を言ってよ”。
これが聞き手の側の本音なのだとすればズバリ結論からプレゼンを組み立てるべきです。聞き手の需要を満たしてあげるプレゼン、これが上手なプレゼンです。供給過多のプレゼンではダメ。プレゼンにも需要と供給のバランスは大切です。
目を瞑りながらプレゼンを聞いている経営者がいます。こういう人の前でパワーポイントを巧みに操ることにどんな意味があるのでしょうか(笑)。
聞き手が求めていることは目を見れば歴然です。聞き手の“早く終われ光線”を見逃してはいけません。“なるほどそうか光線”を感じたらその時点で腰を落ち着かせて話せばいいのです。これでプレゼンは成功します。プレゼンの主役はアナタではなくあくまで聞き手の側なのです。

◆塾長日記2009年7月16日
●サムライVS奴隷
日本の家族を象徴している言葉、それが“家族サービス”です。
満員電車に揺られながら帰宅するのはいつも深夜。グッタリしてしまうのも当然です。できることなら週末は家でノンビリしたい。これが日本のお父さんの本音なのでしょう。
“家族サービス”という言葉には義務感が漂います。
”家族を養っているのは俺様だ。
本来なら俺が奉仕してもらいたいくらいだ。
でも仕方がない。
家族と過ごしてやることも男の仕事なのだ”。
こういう上から目線の感覚が“家族サービス”という言葉の背景にあるような気がします。
“女は家政婦だ”。
これが男性の本音などすれば問題です。
“男はお金を生み出す道具だ”。
これが女性の本音だとすればそれも問題です。
たがいにこういう考え方をしている夫婦が本来の夫婦なのかどうか大いに疑問です。
家族とは空気のような存在です。週末をどう過ごすかどうか、それは義務感からではなく、自然の成り行きで決まるはず。それでも“家族サービス”という概念は未だ健在です。
“On my days off, I have to spend with my family.”
(週末は家族サービスをしなければならない)
“家族サービスは英語にはなりづらい。欧米人には“have to(ねばならない)”という感覚が理解できないかも知れません。
“I AM a salve in my family.”
これなら笑いが取れてしかも通じます。サムライが週末だけ奴隷になる。これが日本のお父さんを説明するのにいちばんピッタリする表現です。

◆塾長日記2009年7月15日
●私のその手が邪 魔なのよ?
話をするときの私のクセ。それは手を動かしすぎること。とにかく私の手は元気がよすぎるのです。
“どうしてあんなに手を動かすのかな?”
これが私のかつての悩みでした。理由は自分にもわかりません。話すときになぜか手を動かしてしまうのです。
“Your hands are irritating.”
私の手は聞き手には煩わしく映るらしい。コンテスト・スピーチのジャッジから度々指摘されたことです。映像を見てみると私の手はたしかにウザかった(笑)。
当時の私にとってirritatingという言葉は衝撃的でした。人格が否定されたような、そんな気持になるほどショックだったのです。
“このクセは直さなければならない。
俺の手よ。
どうか静まっておくれ”。
こう祈りながらスピーチをしてみると手の動きは静まります。あまりにも静まりかえって、今後は動きがぎこちなくなってしまいました。手のクセを矯正しようと思えば思うほど不自然な話し方になってしまうのです。
誰の目から見ても不快に感じるような、そういうクセであれば直したほうがいい。そうでなければクセを活かした話し方を目指す方法もあると思います。そのほうがずっと気楽です。自分自身が心地よさを感じながら話すここそが自然体で話をするいちばんの近道だと私は考えています。
私の手は今日も元気に動いています。私自身も元気いっぱいです。思いっきり手を動かすこと。これが私がいちばん気楽に話せる話し方なのです。

◆塾長日記2009年7月14日
●一身上の都合?
“立つ鳥跡を濁さず”。
退きぎわが潔く、きれいなことをたとえた諺です。日本人の美意識をよく表しています。
”一身上の都合により云々”。
会社を辞めるときの文言です。どんな理由であろうと退職願の文言は“一身上の都合”でなければならない。これが日本社会の“常識”です。
日本人にとって組織を抜けることはおそらく気が引けるのでしょう。脈々と受け継がれた村社会のDNAがそう思わせるのかも知れません。
辞める理由はあくまで自分にある。組織には原因や責任はない。こういう儀礼的なニュアンスを含んでいるのが“一身上の都合”という文言です。
辞めるからには理由があるはず。それでも本音を漏らすことはしない。文言上はあくまで儀礼で済ます。こういう美意識をいったん壊してみるとどうなるのでしょうか。
“上司がアホなので退職させていただきます”。
こういう退職届を提出して却下された人がいます。私の友人です。
“これまで世話になった人に対して失礼じゃないか”。
たしかにその通りです。日本的な“常識”から逸脱した行為なのですから。
日本人がもっと自由で開放的な人生をおくるにはこの種の“常識”や美意識を壊してみることも必要なのではないか。私にはそう思えてきました。
会社に対する不満に蓋をしてしまい“跡を濁さない鳥”が果たして立派な鳥なのかどうか、甚だ疑問です。掟に縛られて本来の自分を表現しないのは体制の側に媚を振るだけの愚行なのではないでしょうか。
“立つ鳥跡を濁してみよ”。
こういう生き方にチャレンジしてみるのも粋なのではないか。友人の“非常識”な行動からこんなことを考えてみた私です。

◆塾長日記2009年7月13日
●自民党は強かった?
都議選が終わり東京都は新しい時代に突入しました。
私の住む選挙区では民主党に投票した人の数が125,078、自民党72,782、数の比較では民主が自民を圧倒しています。
民主党はフレッシュな新人2名が圧勝したものの現役2名が共倒れ、一方、自民党は現役の3名が再選を果たしました。
“風は民主党に吹いている”。
それでも与党は強かった。これが私の印象です。
近隣の人たちとの井戸端会議では
“自民には絶対投票しない”。
こういう声が圧倒的でした。
前回2005年の投票率は43.99%、今回が54.49%。増えた分がそのままトップ2名の民主新人に流れた計算です。自民が負けたことは事実ですが保守の基盤は想像以上に堅固でした。今回、自民公明に投票した区民の数が10万人を超えたことからも明らかです。
衆院選のスケジュールが決まりつつあります。政権交代が実現するかどうかは投票率次第、投票率が上がれば確実に民主政権が誕生します。
民主党が政権与党になって経済の建て直しが保障されるわけではありません。むしろ危惧すべき材料の方が多いのです。だからといって自民党に投票するわけにはいかない。国民の悩みはここにあります。
元々、保守的な国民がどこまで革新的な選択をすることができるのか。結果は8月末に判明します。

◆塾長日記2009年7月12日
●品格ある鰻?
“鰻はタレが勝負”。
天然だろうが養殖だろうがタレが美味しければいいのだ。こういう感覚で吉野屋の鰻丼を食べるとかなり失望することになります。やっぱり吉野屋は牛丼のお店です。
野田岩の鰻を食べると世界観が変わります。雰囲気が抜群によく中井さんも丁寧で品がある。160年続く老舗の重みを感じさせてくれる名店です。
食べ物には少々うるさい私ですが鰻にはこれまで縁がありませでした。お寿司やお肉には大枚をはたいても鰻には無頓着だったのです。
野田岩の鰻は鰻の香りがします。
“あたりまえ?
鰻なんだから”。
こういう声が聞こえてきそうです。これまで私が食べていた鰻はタレが主役でした。鰻はあくまで脇役でタレの美味さが決め手だったのです。だから養殖だろうが天然だろうが気にはしない。私がこれまで口にした鰻の多くは養殖だったのでしょうが(笑)。
野田岩の鰻はタレがあっさりとしています。タレのお代わりをしたくなるくらい味がさっぱりしているのです。ほのかな鰻の香り、川の香りを堪能することができます。
肝焼きを注文したときのことです。
“パパ。肝ってチンチンのこと?”
息子の大きな声に私の方が恥ずかしくなってしまいます。
串肝には肝臓だけでなく腸なども含まれているそうです。勉強になりました。

◆塾長日記2009年7月5日
●傲慢オーラ
“強気で攻めよ”。
これがスピーチの鉄則です。ビクビク・オーラ全開のスピーチで人を動かすことはできません。自信がなくても自信があるように振舞う。そういう気迫が自信を生み出してくれるものなのです。
さて、強気さの境界線をどこで引くのか。この頃合いが難しいところです。
“イヤよ・イヤよも好きのうち”。
強気が高じた勘違い男。これがストーカーです。だからといって草食君の弱気モードで恋は成就しません。何事にも頃合いは大切です。
発言一発でいま日本を動かしている男がいます。東国原知事です。
“自分が出馬すれば自民党を負けさせない”。
これまで一貫して強気の発言を繰り返してきた知事です。知事に対する国民の信頼感がこの発言でグラついたのではないか。私にはそう感じられました。
スピーチは強気が原則です。これが圧倒的な影響力を醸し出すエネルギー源でもあります。
しかし頃合いを間違えて“傲慢オーラ”を放った途端、話し手のクレディビリティー(credibility)は大きく揺らぎ始めるのです。
知事が実際に傲慢かどうかという問題ではありません。あくまで聞き手の側、受け取る側が“傲慢オーラ”を感じ取るか否かという問題なのです。ここがスピーチの難しい部分でもあり、また面白い部分でもあります。
“ネガティブな印象は修復するのが難しい”。
人間関係にもスピーチにもこのことはあてはまります。
強気さと傲慢さの頃合いを間違えてしまった知事。真の実力がいま試されそうとしています。

◆塾長日記2009年7月4日
●お代わりができない私
“すいませ〜ん。
お茶ください”。
店内に私の声だけが響きます。お代わりすることが実ははずかしい私です。指導の後だったりすると余分で声が出てしまいます。
日本のご飯屋さんではなかなかお茶を入れてくれません。永遠の謎です(笑)。そもそも湯のみが小さすぎます。私が一口で飲み干してしまう大きさです。
食べ物の通りが悪い私です。食道が狭いのかな? それとも扁桃腺(tonsils)肥大の影響か? とにかく食事をするときの私は水分を大量に摂取します。お茶やお水が必須アイテムなのです。
今日、皆で行ったのはトンカツの有名チェーン店です。
“キャベツとご飯とお味噌汁はお代わり自由”。
こんな掲示を見つけました。
“キャベツください。
山盛りでね。
それからご飯も。
大きなドンブリがいいかな。
味噌汁とお茶もね”。
お茶のお代わりすら躊躇してしまう私です。こんな風にはなかなか言えないのです。弁塾の塾長が寡黙になる珍しい瞬間です。店員さんを呼び止めようとしてもタイミングが合いません。なぜ?(笑) だからお代わりをしないでいつも“我慢”してしまうのです。
ガンガン注ぎに来てくれるアメリカの方が私には気楽です。チップの習慣の影響なのでしょうか、接客が乱暴なお店でも空いたクラスだけは見逃しません(笑)。そういえば昨年の今日はニューヨークで花火鑑賞をしていました。アメリカの独立記念日です。一念発起の留学から1年が経過してしまいました。

◆塾長日記2009年7月3日
●“今は不況じゃない”
自称庶民を名乗る友人が面白いことを言っていました。
“いま、ほんとうに不況なのかなあ。
モノは安くなりましたよね。
一頃の半値でモノが買えちゃう。
給料は少し下がったけど、生活は楽になった”。
株価から見た不況、不動産価格から見た不況、こういう観点から不況を見れば今の時代はたしかに不況なのだと思います。ただ、モノが半値で買えるということは実質的な給与が2倍になったのだ。こう考えると友人の考え方にも説得力があります。経済学者が言う不況と実生活の間にはかなりのギャップがありそうです。
流通の流れが簡素化されモノの価格はたしかに安くなりました。むしろこれまでの価格が高すぎたのではないか、日本の流通システムがあまりにも複雑すぎたのではないか、今の価格が実は適正価格なのではないか。こう考えると今の時代が不況ではないのではないかとさえ思えてきます。
“庶民の生活は実に苦しいのだ”。
メディアはこういう告知をするのが大好きです。
客待ちをしているタクシー運転手さんの嘆きがよく報道されます。
“こんな不況じゃ生活できないよ”。
今や710円でお弁当が2つ買えてしまう時代です。タクシーを利用する人が減るのは当然なのかも知れません。
先進都市のニューヨークでさえタクシーの初乗り料金(initial charge)は250円です。適正価格だからこそみなが利用する。これが需要と供給(demand and supply)のバランスです。
憂鬱な経済報道に翻弄されることなく消費文化を満喫する。こういう友人のスタンスに少しだけ勇気づけられた気分になりました。
“今は不況じゃない”。
なるほど!

◆塾長日記2009年7月2日
●あんな上司になりたいなあ
ハードルの高い仕事を楽々とこなしてしまう人。そういう人の下で働く部下はたいへんです。上司と同じようなノルマが課せられるからです。
“オレはこんなにやっているよ。
お前らもヤレよ”。
こういう言葉を吐く人は稀です。
“お前らは無能だな。
オレのようにはできないだろうな”。
こういう言葉を吐く人も稀でしょう。でも上から目線で部下を見下す人、そういうオーラを発する上司は少なくありません。
バリバリ仕事をこなす人は出世します。いずれは部下を持つようになります。そして人を動かす難しさに悩むのです。
部下として働く人たちはまだまだ未熟です。ヤル気も能力も上司ほどではありません。そういう部下に高いハードルを課すこと自体に無理があるのです。
仕事ができない人が上司になってはいけません。でも、仕事ができる人が上司に向いているかといえばそうではありません。優秀な野球選手が必ずしも名監督になれないのと同じです。
魅力ある仕事に没頭し、魅力あるオーラを発揮する人、こういう上司のまわりには人が集まってきます。
“自分もあんな上司になりたいな”。
こういうオーラがにじみ出る上司が人を動かすことのできるリーダーです。今はダメでも将来に希望が持てそうな気がする、こういう雰囲気の中で働く部下は目がキラキラしています。叱っても人はついてきます。尊敬されている上司の言葉は無敵なのです。
“あんな上司にはなりたくない”。
部下が少しでもこう感じた瞬間、その瞬間に人を動かすためのすべての道が閉ざされてしまうのです。

◆塾長日記2009年7月1日
●軟体動物
“普段は結構イイカゲン。
でもいざとなったら奴はヤル男だ”。
平時は至ってマイペース。難事の際になると実力を発揮し部下を安心させる人。こういう人がリーダーには適任です。
気骨がある人は自分の哲学を持っています。こうあるべきだ、こう生きるべきだという人生の羅針盤が常に一定方向を向いている人です。ぶれない、ぶれようがないのです。真のリーダーになろうと思うならばこの要素は不可欠です。
教育にも気骨が大切です。どんな信条(creed)を掲げているかで気骨の度合いが分かります。気骨がない学校ほど安易な手法で人を集めようとするのが世の常です。
“駅から徒歩1分。
どんな方でも大歓迎。
ただ今キャンペーン受付中”。
今の時代にはこういうことも大切でしょう。でも気骨がなければそれは教育ではありません。
政治にも気骨は大切です。気骨はマニフェストに表われます。自民党も民主党もマニフェスト制作に奔走しています。
マニフェストとはそもそも“つくる”ものではありません。既にソコになければならない性質のものなのです。マニュフェストが文章にならないのはその党に気骨がないからです。気骨もなければ気概もない政党が今、日本の舵取りをしようとしています。
軟体動物には骨格がありません。皮膚は粘膜におおわれ体が乾燥すると生きることができないのです。乾燥した体にお金をふりかけると蘇る特殊な軟体動物。それが政治家でないことを切に願います。

◆塾長日記2009年6月30日
●日本人とパワハラ
パワハラ(bully)はアメリカでも問題になっています。仕事はお金と割り切る分だけ日本よりも厄介な面もあるようです。
日本との明確な違い。それはアメリカではパワハラで自殺をする人が少ないということです。
労働者の仕事に対する考え方は冷めています。
“Why do I work?
Silly question!
I work for money.”
アメリカ人の仕事観は実にシンプルです。彼らにとって仕事はお金です。遊ぶために働くのだと言い切る人もいます。不満があれば迷わず仕事を変えてしまいます。条件のいい仕事をいつも探し求めています。生涯に平均で6回転職するのが彼らです。
アメリカ人は自分の仕事にプライドを持っています。手に職をつけた自分を“特定技能の持ち主”と見なし、その技量を雇用者にセールスするのです。パワハラなどを経験して黙っているはずもありません。中には訴訟に持ち込む人もいます。でも多くの人は見切りをつけてサッサと辞めてしまうのです。狩猟民族の成せる業なのでしょうか、日本人の私には少し羨ましく感じる部分です。
日本人の仕事観は独特です。我慢することが美徳として重んじられてきました。辛いことがあってもそれを乗り越え、頑張りぬくことが立派な人だ。こういう目に見えない圧力があるのです。
こういう真面目な姿勢が今の繁栄を築いたことは事実でしょう。それでも、パワハラが原因で死を選択してしまう人がいる社会はどう考えても歪です。労働者を死ぬまで追い込むパワハラは事実上の殺人なのですから。労災認定云々で片付ける問題ではありません。
“負けちゃダメ”。
こういう価値観を少しだけ矯正する。会社を辞めてしまうという解決法もあるのだ。こういう考え方ができる日本をつくるべきだと私は思います。

◆塾長日記2009年6月29日
●説明責任って何?
最近、“説明責任”という言葉をよく耳にします。
政治にはお金がかかります。派閥の長ともなれば数十億のお金を動かさなければなりません。どの政治家も誰からお金を貰いそれを活動資金として活用するのです。
日本では個人献金の習慣が根付いていません。頼るは企業のみ。法の網を潜り、どうにかして企業からお金を“引っ張ってくる”のです。これも政治家の手腕のひとつです。
“合法的な献金”の実体が暴かれることがあります。マスコミは政治家を追いかけます。ワイドショーが一定の役割を果たすようになりました。
“秘書に任せているので”。
政治家がこの言葉を吐くことからドラマが始まります。“説明責任”はドラマの頻出単語です。まな板の上に鯉を置く。ウロコだけは取る。でも三枚にはおろさない。これがドラマの結末です。メディアが政治家のイヌである動かぬ証拠です。
さて、渦中の政治家が“説明責任”を果たすことは先ずありません。説明のつかないことをしまった人に使われる言葉だからです。浮気をしてしまった人に“説明責任”を求めるのと同様です。滑稽な言い訳が登場することになるのです。
“説明もできない。
責任も果たせない。
国民が忘れてくれるのをジッと待つ”。
これが唯一の頼みの綱でしょうか。疑獄事件にでも発展しない限り、日本の国民はお金の問題には無頓着です。表ざたになったことで落選する政治家よりも当選してしまう政治家のほうが多いのです。お中元やお歳暮の習慣が悪いとは申しませんがそもそも日本文化の体質自体が賄賂性を帯びているのではないでしょうか。だから国民はお金の問題には甘いのです。

◆塾長日記2009年6月28日
●1点凝視法がおすすめ!
アイコンタクトの続きです。
“どこを見ればいいのか分からない”。
100人の聴衆を目の前にすると目のやり場に困ることがありますね。そこでお勧めなのが“1点凝視法”です。
壇上に立ったら先ずは一呼吸して間(ま)を取ります。このあいだにすべきことがあります。聴衆の中からひとりを選び出し、その人にアイコンタクトを注ぐるのです。これが“一点凝視法”です。
“他の99人は見なくていいの?”
そうです。見ないのです(笑)。とにかく狙い定めたひとりの人、その人しか会場にはいないと思ってスピーチを始めるのです。
出だしほど落ち着いた雰囲気が大切です。キョロキョロせずに1点を見つめながら話をする。このほうが聞き手の側も安心するのです。
さて、同じ人ばかり見ているわけにはいきませんね。スピーチの進行に合わせて“1点凝視法”の対象者を変えていきます。
会場を5つのセクションに分割します。左、中、右、そして前方、後方です。まんべんなく、しかもアトランダムに視線を移動させていきます。それぞれのセクションの中からひとりの聴衆を選び“1点凝視法”を実践するのです。
“センテンスの途中で視線を動かさない”。
これには注意が必要です。自信の無さを露呈してしまうからです。
センテンスとセンテンスのあいだの間(ま)を使って視線を移動させる。このことが心地良く感じられるとスピーチがより楽しくなってきます。
“1点凝視法”に笑いが加われば鬼に金棒です。

◆塾長日記2009年6月27日
●眼(がん)つける?
“苦しうない。
面をあげい”。
時代劇の場面によく見かける光景です。将軍の前で不用意に顔を上げるだけで即、打ち首。そういう時代もありました。庶民や武士たちは許可されてはじめて顔を上げることができたのです。
明治の時代になっても日本人の目線に対する考え方は変わりません。目上の人とはあえて目を合わせないことで尊敬や謙虚さの気持を表現したのです。お見合い結婚をした女性が初夜に初めて男性の顔を見て卒倒したという笑い話もあるほどです。
“眼をつける”
という言い方があります。喧嘩の原因は、
“相手が睨みつけたから”。
こんな理由だけで喧嘩になってしまうのです。
目線に対する日本人のメンタリティーは独特です。 でもこれがまた日本のよさでもあるのです。
大勢の前で話すことに慣れていない日本人にとってアイコンタクトの問題は深刻です。私もこのことで苦労しました(笑)。ロボットのように硬直すれば、
“Talk like human being.”
と言われ、キョロキョロすれば、
“Stand still.”
と教授からよく言われたことがありました。アメリカ人には簡単に思えることが日本人の私には難しいのです。 私が目線を克服できたのは聴衆を笑わすことに慣れ始めた頃です。笑ってもらう、笑っていただくことで普段通りの目線で話ができるようになったのです。
悲壮感が漂うトレーニングよりも聴衆を笑わすことでアイコンタクトを克服するほうがずっと気楽なのではないか。私はこう思います。

◆塾長日記2009年6月26日
●母の誕生日と父の思い出
“会話は『はい。わかりました』から始まるのだ”。
これが父の教育方針でした。どんなに理屈が合わないことでも無言で従う。これが我が家のしきたりでした。
床の間に正座をさせられたことがあります。
“お母さんの言うことは聞いているのかね”。
日本刀を磨きながら私にそっと語りかける父。目は合わせることなく淡々と刀を磨いているのです。
“はい”。
こう返答するのが精一杯でした。今の時代なら児童虐待と言われても反論できませんね。でもこれが当時の我が家だったのです。
会社でもこういう“封建制”は貫かれていたようです。それでも父を慕う人が多かった。奇跡です。
仕事がデキル社員もデキナイ社員もまとめて面倒を見る。これが父の流儀でした。かつての高度成長期に右肩上がりで伸びた会社です。
脱税事件で世間を騒がせたことがありました。晩年父から告白されたことです。会社は解散寸前まで追い込まれたそうです。私が高校に進学をした頃の話です。
私は私立高校に進学しました。裕福な生活だった。私にはそういう記憶しかありません。父の会社がそんな状況だったことは記憶の欠片にもないのです。父は家族と社員の生活を守り抜きました。
晩年の父は寝たきりでした。戦後の混乱期に流行したヒロポン。そのうち回しが原因で肝炎を発症していたのです。自宅で24時間介護をしてくれたのは父の“子分”たちでした。
今日は母の70歳の誕生日です。父が生きていれば大きなケーキを日本刀で切り分けてくれたかも知れません。

◆塾長日記2009年6月25日
●マスよ来い!
箱根弁塾館の近くにマス釣り場があります。
“ああ、また逃げられちゃったぁ”。
息子がブツブツ言っています。 餌に食らいついても逃げられてしまうのです。
こういう私も釣りは得意ではありません。3分さえもジッとしていられない性分だからです。それでも一応のお説教だけはしてみます。私も親なのです。
“おい、息子よ。
釣りは待ちのスポーツなんだ。
じっと待ちなさい”。
そんな私が息子よりもジタバタしてしまいます。
あきらめかけてボーっとしていると、私のサオが動いています。タイミングが一瞬ズレタことが功を奏したようです。立派なマスが釣れました。
“パパ、ズルイよ。
手が長いんだから”。
意味不明な彼の言い訳につい苦笑してしまいます。息子にとって父親は永遠のライバルなのです。
“釣れるまで帰らないから”。
こういう気合が釣りにはダメなことは彼も重々承知しているはず。悔しい気持とは裏腹にサカナたちは逃げてしまいます。
心の中でお祈りをしていると息子も無事マスをゲット。得意満面の笑みを浮かべています。
“パパ、今度はマグロの一本釣りをしてみたい”。
やっぱり11歳はまだ子どもです。

◆塾長日記2009年6月24日
●時代は変わった
“私を総裁候補にしてください”。
“キミ、面白いこと言うね。
気概とヤル気には感服したよ。
ぜひ総裁選に出馬して古い自民党をかき回してくれたまえ”。
こういう会話にはなりませんでした。オロオロする古賀氏の姿ばかりが目立った感があります。滑稽です。
“芸人あがり”という言い方をしたコメンテーターがいました。あまり品のいい言葉ではありません。過去はあくまで過去です。むしろ芸人から知事までに出世した男を讃えるべきなのではないでしょうか。
“オレを総理にせよ”。
これならば話は別です。一国の総裁としての職務を全うするには経験と実績が必要だからです。真意はともかく東国原氏が言及したのはあくまで総裁“候補”。総裁を選ぶのは党員と現職議員なのです。候補になるくらいのことで神経質になる必要がどこにあるのでしょうか。
言葉で国が変わることはオバマ大統領が証明しました。白人至上主義が色濃く残るアメリカの大統領が今やネイティブ・アフリカン(native African)なのです。こういう時代が到来したのです。
“ばかばかしい”
と一笑に付した議員がいました。
“顔を洗って出直して来い”
と述べた議員もいました。
それでも東国原氏は腐ることなく発信し続けています。
過去よりも今。今よりも未来が大切です。日本がダメになるのではなく、すでにダメになっているのです。今こそ新しい一歩を踏み出すときなのです。
宮崎が変わったこと、変わりつつあるということは歴然とした事実です。気概とヤル気に満ちた人に舵取りの仕事を与える。こういう日本でありたいと私は思っています。

◆塾長日記2009年6月23日
●スピーチはセックスだ?
“今日は気分が乗らないなあ。
どうしてだろう?”
テンションがなかなか高まらない。緊張してしまうことよりもこのほうが深刻です。気分の高揚はスピーチの要だからです。
私が体験から学んだことがあります。疲れているときの方がスピーチは上手くいくということです。体調万全で睡眠もバッチリ。食事もしっかりいただいた。こういうときにはテンションが高まらないのです。
少しだけ寝不足気味で忙しく飛び回っているときのほうが断然、気分は高揚します。体も少しだけ疲れているくらいでちょうどいいのです。
“肉体の危機意識を刺激してあげる”。
このほうがテンションが高まるということは医学的にも証明されています。
90分の講義を1日7回していたことがあります。いちばんいい授業は出来たのは6回目と7回目です。朝から喋り続けて夕方頃にはもうクタクタです。声もガラガラです。食事を取る時間もないくらいの忙しさでした。
疲れているときのほうがテンションが高まるのです。お腹が空いているときのほうがいいスピーチができるのです。
セックスも同じです。温泉宿で身も心もリフレッシュ。美味しいご飯に楽しいお酒。こういう日のセックスはなかなか盛り上がりません。登山をしてクタクタになる。人里離れた山小屋での質素な夕食を楽しむ。こういう晩のほうが断然盛り上がるのです。

◆塾長日記2009年6月22日
●声で動かす
ビジネスパーソンに必要なのはアナウンサーのような美声ではありません。相手に合わせた適切な声を自在に使うことのできる表現力です。
ボイス・トレーニングというと少し大袈裟です。健康体のアナタの声は既に立派で美しいのですから。
手元にある本を使って音読をしてみましょう。背筋を伸ばして立ちながら声に出して読んでみるのです。1日3分、これだけのことでアナタの声は抜群の輝きを増してくれるはずです。
私は車を運転しながら英語の文章を口にしています。ケネディー大統領の就任演説です。この練習はもう30年続けています。美声ではありませんがかなりいい声が出ていると自分では思っています。
話すスピード(pace)も大切です。女性には少しテンポを抑え、男性にはテンポを速める。これがスピーチ前半のコツです。男女混在であれば女性とアイコンタクトをするときはややゆっくり、男性とアイコンタクトをするときにはペースを上げる。これで対応します。
スピーチが山場にさしかかったたら男女の差異は考えない。一気にスピードを上げるのです。そのほうが場が盛り上がります。
“ペースを上げよ、間(ま)を生かせ!”
これがスピーチを成功させる法則です。スピードを上げた後だからこそ間が生きるのです。
人は見た目が大切だと言われます。見た目以上にインパクトがあるのが実は声なのです。アナタの声で人を動かす。なんと素晴らしいことでしょう。

◆塾長日記2009年6月21日
●ブタ以上、人間未満の人生?
自分の心の中から物体を取り出して、
“This is me!”
と指し示すこと、これが言葉を発すという行為です。画家は絵を描くことで“言葉”を発します。音楽家は楽譜で“言葉”を発します。料理家はレシピで“言葉”を発します。人はみな独自の"言葉“を使って自己のアイデンティティー(identity)を表現しようとします。
言葉の発信基地はアナタです。出発点は常にアナタの心の中、アナタ自身なのです。このことをはき違えると不幸です。
アナタが感じた通り、思った通りに言葉を発すること、これがすべての始まります。アナタの真意はなかなか伝わらないことでしょう。もしかしたら生涯伝わらないこともあるかも知れません。それでも心を尽くして言葉を発し続けるのです。これが人として与えられた特権であり義務でもあるのです。
人類は文字を生み出し、印刷技術を生み出し、電話を生み出し、そしてインターネットをも生み出しました。それでもコミュニケーションがもたらす問題に私たちは悩み続けています。
餌を食べ、酒を飲み、セックスをするだけの、いわば、ブタ以上、人間未満の人生も悪くはありません。でも、それだけでは“Who am I?”のパズルを解くことはできないのです。“This is me.”と叫び続けることはできないのです。
売れる絵を描いてお金で魂を売りさばいてしまう画家になってはいけません。アナタの心の中のキャンバスに絵を描くのはアナタなのです。人から嫌われない言葉、見かけだけの人間関係を築くためだけの言葉を人から借りるような愚を犯してはいけないのです。
アナタが描いた絵はなかなか理解されないかも知れません。それでも描き続けること、それが大切です。アナタも私も言葉を使って絵を描く芸術家のはしくれなのですから。

◆塾長日記2009年6月20日
●ザッツ・カモン・センス!
“That’s common sense.”
(そんなの常識じゃん)
“So what?”
(だから何なんだ)
ガイジンを黙らせようと思ったら逆に言い返されてしまいました。私たちはしばしば英語と日本のギャップに戸惑います。
“カモン・センス”の意味は“常識”と私たちは教わってきました。誰もが習う英語です。
“そんなこと誰でも知ってるよ。
君、知らないの?
恥ずかしいよ”。
こういう感覚で“カモン・センス”を多用してもどうもシックリこない。ガイジンとの会話がギクシャクしてしまうのです。
“The ability to make practical decisions that require no special knowledge.”
(特別な知識を必要としない分別ある判断を下す能力)
常識という日本語よりも良識に近い感じでしょうか。カモン・センスは知識の欠如を指摘する言葉ではないのです。不用意に連発するとそれこそ良識が疑われてしまいます。
知識を引き合いに出すのなら“common knowledge”が適切です。“It’s been around”や“Everybody knows”も使えます。叱るつもりならば“You should know better〜”。
英語が国際語になった今の時代、どういう英語の勉強をすべきなのか、日々考え込んでしまう私です。

◆塾長日記2009年6月19日
●私ってこんな顔なの?
“自分はどんな話し方をしているのだろうか?”
興味本位で自分の映像を見てみると思いもしなかった自分のクセや嫌なところに気づきます。
話しているところを映像に撮って指導をする方法があります。アメリカでも日本でもこれがオーソドックスなやり方です。弁塾でも撮影をすることがありますがその場で生徒さんに見せることはありません。ディメリットの方が多いと考えるからです。
映像でダメな部分を指摘されたらすぐに調整する。これができればそれだけでプロのレベルです。話すことを生業にしている人以外にはお勧めできる方法ではないのです。
自分の声を録音してみて、
“ああ、なんと美しい声なのでしょう”。
こう思える人は少ないはず。映像も同じです。自分の“ダメ”な映像を見てヤル気が沸き出てくる人はいないのです。
生徒さんの話し方のクセをあえて私は矯正せずに放置することがあります。トレーニングを積んでいくプロセスで自然に治ってしまうことがあります。この時点で生徒さんに昔の映像を見せるのです。
“えっ、こんな話し方をしてたんですね。
恥ずかしい”。
ダメな姿はあえて封印して本人には見せない。上手になってから見せる。こういう指導方法もあるのです。ニューヨークのTJ塾長と私とで唯一、意見が異なる部分です。

◆塾長日記2009年6月18日
●饒舌になれる理由、なれない理由
“話し方が不得意です。
上司にもよく言われるんです”。
こういう人に上司の悪口を言わせてみる。すると驚くほど饒舌に話をしてくれます。上司の気に入らないところを分かりやすく、しかも面白おかしく話してくれるのです。
“アナタ、話が上手いじゃないですか”。
”悪口は得意なんですよ(笑)”。
話し方を支える屋台骨のひとつ、それが熱意(zeal)です。
“これだけは言わせていただきたい”。
こういう強い気持があるだけで話し方のレベルはグーンとアップします。
悪口、非難、中傷の核を形成するのが熱意です。はらわたが煮えくり返るようなことがあった。でもこのことはけっして口にすることはできない。そんな感情を言葉にすることが許されたとき、その瞬間に人は皆“ブレーク”するのです。
“上司のいいところを教えてください”。
“とくにありません(笑)”。
急に無口になってしまいましたね。上司の長所に対しては意識が向いていない、熱意がない。饒舌になれない理由はここにあります。 上司のいいところに関しては初めから興味もなければ、言いたくもないのです。
話し方のレベルを制御しているのは熱意です。弁力を生かすも殺すも、それは話し手次第、熱意の矛先をどこに向けるかで話し方は得意にも不得意にもなり得るのです。

◆塾長日記2009年6月17日
●付き合ってください!
“花子さん。
僕と付き合ってください”。
うつむきながら右手を差し出す男性に女性の側は、
“ごめんさない”。
こんなテレビ番組がありましたね。
世の男性諸君はどうして“付き合う”という言葉を使うのでしょうか。皆、あたりまえのようにこの言葉を使います。
“付き合う”という言葉は使いどころを間違えると悲壮感が漂います。少なくとも、うつむきながら使う言葉ではありません。
“はい、こちらこそよろしくお願いします”。
こう爽やかに返答してくれる女性もいます。でも、多くの女性にとって“付き合う”という言葉には何か引っ掛かるものを感じてしまうのではないでしょうか。
“食事に行きましょう。
お肉が好きなんですか?
僕に任せてください”。
これでいいのです。ガタガタ言わずに飯を食えばいい。よほどのダメ男でない限り、誘われて不愉快に感じる女性はいないと思います。食事に誘って断ってくる女性はこちらから願い下げです(笑)。
“先生は誘い方が上手いから”。
そんなことはありません。私は不器用(clumsy)です。女性を誘うことは大の苦手なのです。それでも私は女性が大好きです。

◆塾長日記2009年6月16日
●マ行にご注意!
“もうダメだ”。
こう思っただけでダメになった。こういう経験は誰にでもあると思います。思うだけでもダメなのですから口から吐いたらほんとうにダメになってしまいますね。ネガティブ・ワードの恐ろしさは皆さんもご存知の通りです。私は51音のマ行のことを“魔行”と呼んでいます。
“まずい”。
“みじめだ”。
“むずかしい”。
“めんどうだ”。
“もういい”。
ま・み・む・め・も。どれもネガティブ・ワードばかりですね。マ行は話し方の鬼門なのです。
英語と比べると日本語は文字に意味を持たせる言語だと言われます。それでも語感は大切です。口から発した言葉がどう響くかでムードがガラリと変わるからです。
さて、男女の会話を覗いてみましょう。どうやら男性の側が浮気をしたようです。
“マいったなあ。そんなに怒るなよ”。
“ミじめなのは私のほうよ”。モう死んじゃう”。
“ムり言うなよ。メんどうなことになっちゃったなあ”。
“私たち、モうだめね”。
別れ間際の男女の会話はマ行がいっぱいです。
話し方を語るとき、私たちはとかく文字面だけに目がいきがちです。でもそれ以上に大切なこと。それは言葉の響き、つまり語感なのです。
“魔行”にはくれぐれもご注意あれ!

◆塾長日記2009年6月15日
●質素な人生だって?
“仕事が嫌ならやめちまえ”。
私の言葉に激怒した友人がいました。
“おれだってやめたいよ。
でもそうはいかないんだよ。
家族もあるしローンもあるんだから。
おまえにその苦しみはわからないだろう!
みんな質素に頑張ってるんだよ。”
会社勤めの辛さ、切なさは私も理解しているつもりです。上から目線でサラリーマンを見下す
つもりもありません。でも、“質素”という言葉には吐き気がします。汚い言葉ですがこれが私の偽らざる気持です。
頑張ることは否定しません。苦しみも否定しません。でも、“質素”が余計です。心の底から“質素”を楽しんでいるのならば、彼の事業主はどれほど楽なことでしょうか。“質素”さえ与えていれば奴隷のように黙々と働いてくれるのであれば私もそんな社員がほしい。
質素よりも絢爛豪華のほうがいいにきまってます。なぜもっと内なる自分に素直にならないのでしょうか? なぜ“質素”を美化することにそんなに躍起になるのでしょうか?
ときには奥様を高級レストランに連れていく。年老いた親を温泉に連れていく。子どもたちを留学させる。こういうことにさえ無頓着でひたすら“質素”な自分を美化する。このことに一体どんな意味があるのでしょうか。
“仕事が嫌ならやめちまえ。
会社が嫌ならやめちまえ。
不満があるならやめちまえ”。
長い人生、こういう風に考えてみるだけでも何かが見えてくると思うのですが。

◆塾長日記2009年6月14日
●真心
人生に変化を起こしたい、奇跡を起こしたいと思うなら真心をすべて注ぎ込まなければならない。これが人生の法則なのだと思います。
相手に通じたかどうか、このことを尺度に真心を量ろうとするとその価値は消滅してしまいます。これが真心の本質です。
仕事がうまくいかないのだとすれば、それはアナタの能力が足りないのではありません。真心が足りないのです。
人間関係がうまくいかないのだとすれば、それはアナタの努力が足りないのではありません。真心が足りないのです。
恋が実らないのだとすれば、アナタが贈るプレゼントの数が足りないのではありません。真心が足りないのです。
仕事も、人間関係も、恋も、すべての鍵を握っているのはアナタの真心です。
真心が通じないと人は自分を責め、あるいは通じない相手をも責めてしまうことがあります。こういう真心は実は真心ではなく“魔心”なのだと私は思います。
アナタの中に潜む声、その声に耳を傾けてみましょう。静寂の中、ひとり胸に手をあてて内なる声を聴いてみるのです。これまで聞こえなかった声、アナタが聴こうとしなかった声が必ずや聞こえてくるはずです。
真心を制御しているのは脳ではありません。真心は必ずや心のなかにポツンと存在しているものなのです。

◆塾長日記2009年6月13日
●素敵だわ!
オトコ同士が褒めあうとき、それは気概や志、度胸についてです。経済力や車、不動産を褒めあうこともあります。オトコ同士がめったに話題にしないこと、それは服装を褒めあうことです。
“太郎君、今日のネクタイは素晴らしいね”。
“有難う、次郎君。キミのスーツもカッコいいね”。
こんな会話チョイト気持がわるい。相手の服装などオトコ同志はまったく気にしないのです。
服装を褒められることにオトコは慣れていません。それだけに女性から服装を褒められると実に嬉しい。天にも昇る気持になってしまうのでです。
“似合ってるわ〜”。
まずまずの褒め言葉でしょうか。
“カッコいいっ”。
これもいい。でも、いちばん効果的なのは、
“素敵ですね”、
の一言。オトコは“素敵”という言葉に猛烈に弱いのです。自分たちが使わない言葉だからです。オトコを動かすには“素敵”の二文字でじゅうぶんです。オトコの私が断言するのですから間違いありません(笑)。
“素敵って言ってもオトコの人ってあんまり喜んでくれない気がするんだけどぉ”。
こんな風に考えてはいけません。オトコは返す言葉にも慣れていないのです。服装もどきで喜ぶことはオトコのプライドに関わるのです。喜んでいないのではなく単に無関心を装っているだけ。心の底ではガッツポーズをしているのです。これがオトコの正体です。
上司であろうが部下であろうがオトコであれば“素敵”を連発してみてください。目減りしたり効果が薄れることはありません。オトコを操る魔法の言葉、それが“素敵”という言葉なのです。

◆塾長日記2009年6月12日
●スピーチは即興でいい!
“教育とは?”
“教え、育むこと”。
これがダメなスピーチ。
“教育とは愛だ”。
ダメではありませんが平凡です。反論する人はいないでしょうが、ありきたりなのです。
“教育とは鏡育だ”。
なるほどそうかと頷いてしまいそうです。こういうスピーチがウケルのです。
言葉の遊びや語呂合わせを奨励するわけではありません。大切なのは創意工夫です。社説で論じられるような難しくてややこしい議論はスピーチには不向きです。誰もが興味を引くテーマをシンプルに説く、これがスピーチです。
“なるほどそうだよな”。
聞き手にこう感じてもらえるだけで大成功です。ユーモアや笑い、失敗談などが加われば鬼に金棒です。
“教育には3つのステップがあると思います。
先ずは子どもたちを驚かせること。
こんな世界があったのかという驚きを喚起する。
これが驚育。
次に、教える側が子どもたちと一緒に学ぶということ。
これが共育。
最後に、子どもたち同士で競争させること。
これが競育。
驚育、共育、そして競育。
これが私の教育論です”。
即興でつくった私のスピーチです。この骨格に具体例や面白い話、体験談を加えれば立派なスピーチになるのです。

◆塾長日記2009年6月11日
●欧米人を調教する?
英語的な発想に身を任せていると、
“言わなくっても分かるでしょう”、
という日本語にちょっとしたストレスを感じることがあります。
“Say what you want to say.
Come on!
Tell me.”
こういう発想をする人たちにとって“察し”が理解しづらいのは当然です。
言わないで分からせるという発想をポジティブにとらえると日本語が興味深い言語だということが分かります。
“How can we understand without words?”
(どうして言わないで分かり合えるの?)
こうやって首をかしげるアメリカ人を“調教”することは私の趣味でもあります。
大声を出してマシンガンのように言葉を“乱射”しなくとも、人と人が分かり合える手段はいくらでもある。このことを日本文化に照らし合わせながら説明をすると、皆、目を丸くして私の話を聞いてくれます。私が日本人として誇りを感じる瞬間です。
グローバル化とは日本を捨て欧米文化に同化(assimilate)することではありません。日本人は日本人のままであり続けることで価値があるのです。
“察し”の文化を世界に広めたらどうなるか? 考えてみるだけで胸躍ります。日本語と英語を混ぜるとどうなるか? 同様に興味深いテーマです。
お寿司にカリフォルニア巻きがあるように、日本発の英語が生まれること、その下地をつくること、そして日本文化を世界に広めること。想像しただけでワクワクしてしまう私です。

◆塾長日記2009年6月10日
●未熟さのススメ
未熟だからといって足が一歩前に出ない人、その場に立ちすくむ人、後ろを振り返る人がいます。
“私は未熟者だから云々”。
こう開き直らないほうがいい。クセになって歩みを止めてしまうからです。未熟さの最大の魅力、それは成熟した人からすれば馬鹿げたように見える“愚”を正々堂々と冒すことができるということです。未熟だからできないことよりも未熟だからできることのほうが実は圧倒的に多いのです。
未熟な自分を卑下する必要はありません。未熟であることに誇りを持ち前へ進む。それでいいのです。アナタから未熟さを取り去ったらいったい何が残るのか、真剣に考えてみてください。未熟さはアナタの魅力であり、最大の武器なのです。未熟さという希望の芽をどうか踏み潰さないでいただきたい。
アナタの人生に奇跡が起きるとすれば、それは未熟な自分を卑下することなく、未熟さと寄り添って日々を過ごしているときです。奇跡は突然やってきます。
未熟でなくなるとすべてのことが丸く収まるようになります。これがどれほどの地獄か、なってみた人だけに分かることのようです。アナタも私も知る必要のない世界です。
成熟した老紳士が海を見ながら呟きました。
“神様にお願いがあります。
私は成熟しきってしまいました。
地位も名誉も財力もすべて手に入れました。
叶うことなら、どうか、未熟な私に戻してください。
未熟な時代の私に時を巻き戻してください。
すべてを捨て去ってもかまいません”。

◆塾長日記2009年6月9日
●聞くより話せ!
聞き上手を奨励する本が目につきます。
“人間関係が上手くいく聞くためのテクニック”
“恋を実らせるための聞く技術”
等々、どれもこれも聞き上手の大切さを説いている本ばかりです。
聞く側にまわると人が寄ってきます。相談ごとも多くなるでしょう。そしてどうなるか? 疲れ果てて“人嫌い”になってしまうのです。
相手が話したくてウズウズしているときには真心で受け止める、笑顔で聞いてあげる。これでいいのです。作為的に聞き手になる必要はありません。
聞く側に立つことそれ自体が目的になってしまっている人、いい人を演じようとすることが目的になってしまっている人。これは似非(えせ)です。心の中から話し手に敬意を払っているのではなく、自分だけがかわいいと思っている傲慢な人なのです。
“いつも自分ばかりお話ししちゃって、チョッピリ反省しています”。
こういう人のほうがむしろ立派です。聞いてくれた人への感謝の気持がある人だからです。とてつもなくお喋りで延々と話を続ける人のほうが私は好感が持てます。
今の時代だからこそ話し手の側にまわることを私は奨めます。失敗談の在庫が豊富な人、笑い話の在庫が豊富な人、騙された経験が豊富な人。こういう人は誰からも歓迎されます。こういう人になればいいのです。
聞くという行為は忍耐を伴ないます。そんなことをするくらいなら話し手として磨きをかけるほうがよほどアナタの人生を楽しくしてくれることでしょう。
“聞くより話せ”!

◆塾長日記2009年6月8日
●真に育まれた絆
“好きです”
と言うのは簡単です。
“愛しています”。
こう言うことも簡単です。
“You have made me what I am.”
こう言えるかどうか、
“今の私があるのはあなたのお陰です”。
と、迷わず堂々と言うことができるかどうか、これが恋愛の価値を決定づけるのだと私は思います。
声に出して言うことが大切なのではありません。目の前に相手がいることが大切なのでもありません。心の底からこう思えているかどうか、このことが大切なのです。
“相手はそう思ってはいないかも知れない”。
こういう不安に心が掻き乱されることもあるでしょう。心配することはありません。相手も独りきっと同じ言葉を囁いているのです。
“You will make me what I will be.”
“これからの私があるのも、あなたのお陰です”。
こう思えるような恋愛がしたいものです。過去と現在、そして現在と未来を繋いでくれる恋愛が最も価値ある恋愛です。
本物の恋愛から生まれた絆は私たちを過去にも未来にも誘ってくれることでしょう。真に育まれた絆は、だから、永遠(eternal)なのです。
永遠の絆が与えられたのであれば別れを悲しんだり、恨んだりする必要はありません。それは愚か者のすること、価値ある最高の恋愛をしなかった人がすることです。

◆塾長日記2009年6月7日
●親友が少ないと嘆くなかれ!
“今回は失敗だったな。
でも発想は素晴らしいと思う。
こんなお前が俺は好きだ”。
こう言い放ってくれる友人が私にはいます。友情の素晴らしさを肌で感じることができる瞬間です。
失敗した理由をものの見事に分析する人もいます。
“俺の予想した通りだ。
運が悪かったな。
また頑張れよ”。
こういう友人も大切です。でも、もっと大切な友人はベクトルが未来に向いている友人です。こういう友人を親友というのだと思います。
失敗と人格は別次元の話です。成功の度合いと人格を天秤にかけて量ろうとする人は真の友情とは無縁の人です。
親友がいないと嘆いている人には永遠に親友は与えられません。これが宇宙の摂理です。アナタが誰かの親友になってあげる。こういう人にどこからともなく親友がやってくるのです。
親友の数の少なさを嘆くことは愚か者のすることです。たった1人の親友が目の前にいるだけでアナタの人生は既にバラ色なのですから。
“The proper office of a friend is to side with you when you are in the wrong. Nearly anybody will side with you when you are in the right.”
(友人の果たすべき役割は間違っているときにも味方することだ。正しいときには誰だって味方になってくれる/マーク・トウェイン)

◆塾長日記2009年6月6日
●乗り心地の悪い荒馬?
広辞苑に収録されている語彙の数はおよそ20万語、これを自在に使いこなすことで言葉の悩みから解放されるならどんなに楽なことでしょう。
言いたいことを即座に言葉に変換することのできる能力があればどんなに楽なことでしょう。
体の中から心を取り出して、
“はい、これが私の心ですよ”
と相手の目の前に差し出すことができればどんなに楽なことでしょう。
生れ変わることが叶うのなら、私は作家になりたい。作家の素晴らしさ、それは私たちが言葉では言い尽くせないと諦めかけていることを、ものの見事に表現してくれることです。作家は私たち凡人の心の代弁者です。
チンパンジーにも劣るかも知れないであろう私たち凡人の心、それを隅から隅まで浄化してくれるのが作家の放つ言葉です。
私自身のジレンマ(dilemma)、それは言葉を教える身でありながら己の限界を体感しながら日々、生きていかなければならないということです。この苦悩から開放されることができるならばどんなに楽なことでしょう。
“私は言葉が万能であるなどど一瞬たりとも信じたことはない。われわれが死や救済、愛や憎しみ、信頼や裏切りに直面するとき、言葉は絶望的に無力である。だが、だからこそ、私は無力な言葉をさらに無力にはしたくはない。言葉のもつ一抹の威力を信じたい。言葉の弱い力を最大限に開花させたい。対話という乗り心地の悪い荒馬に乗って行き着くところまで行きたい”。(中島義道『対話のない社会』)
私は作家が放つ言葉に日々救われています。”乗り心地の悪い荒馬”は実は名馬なのです。

◆塾長日記2009年6月5日
●オバマ大統領のカイロ演説
今日のウォール・ストリート・ジャーナル(Wall Street Journal)に興味深い論評が掲載されています。
“One benefit of the Obama Presidency is that it is validating much of George W. Bush’s security agenda and foreign policy merely by dint of autobiographical rebranding.”
(オバマ政権の利点のひとつは本人の生い立ちを説得材料に使うことでブッシュ政権の安全保障政策や外交政策を焼きなおしブランド名を付け直すことで正当化してくれるところだ。)
オバマ大統領がエジプトのカイロ大学で行った演説、“New Beginning”はブッシュ大統領が自由と民主主義拡大のために掲げた計画をパッケージし直したものだというわけです。
“オバマなら希望に満ちたことを言うはずだ”。
こういう刷り込みがスピーチの判断に大きな影響を与えるのです。クレディビリティー(credibility)の高いスピーカーはどこまでも信頼される。このことは今回の演説を英語圏の多くのメディアが評価していることからも明らかです。
スピーチの内容(what)は大切。もっと大切なのが話し方(how)。そして最も大切なのは誰が(who)話すのかということ。オバマだからこそ、その評価も高いのです。同じ原稿を使いブッシュ大統領が演説を行ったとしたらどうなるか。靴を投げられたかも知れないのです。これがスピーチの面白い部分でもあり、同時にまた、恐ろしい部分でもあります。
大統領予備選から積み上げてきたオバマ大統領の“いいヤツ”というイメージと高いクレディビリティー、これををどこまで積み上げ、維持することができるのか。このことをスピーチの観点から見守っていこうと私は考えています。

◆塾長日記2009年6月4日
●確率は5000分の1
“国民一人ひとりが裁判に関わっていく。
これだけで意義がある”。
こういう理由だけで何となく裁判員制度に賛成していた私です。足利事件の”結末“を知るにつけ考え方が変わってきました。
自分が裁判の場に身を置いたとしたら果たして、当時のDNA鑑定の結果を疑っただろうか?
“証拠は?”
“DNA鑑定です”。
“鑑定結果に間違いはないんだよね”。
“もちろんです。権威ある複数の専門家の結論ですから”。
“でも、本人は自白を強要されたと言ってますよね”。
“証拠がありますから”。
こういう展開を頭の中で思い巡らしてみると背筋が寒くなってきます。
私たちが司法判断に参加すること自体は今でも有意義なことだと私は思っています。ただ、冤罪事件の片棒を担ぐことだけは避けたいというのが本音です。
裁判員制度に選ばれる確率は全国平均で352人に1人、確率が最も高いのは大阪地方裁判所の211人に1人、最も低いのは秋田地裁の786人に1人、格差は約3.7倍にも上ります。
辞退理由や様々な点を考慮すると私たちが裁判員になる確率は最終的には5000分の1程度になるようです。けっして低い確率ではありません。
刑事補償法という法令があります。抑留、拘禁1日当たり1000円以上12500円以下の範囲内だと定められているようです。こういう常軌を逸した数字がまかり通っている現状も皆で議論する必要がありそうです。

◆塾長日記2009年6月3日
●マジック・ワード
“なるほど!”
相手がこう反応してくれると嬉しいものです。自分の全人格が肯定されたような、そんな気分に心躍る瞬間でもあります。
こんなマジック・ワードも何度も耳にすると、その印象は一変します。1回なら許せる。いや、2回までなら許しましょう(笑)。“なるほど”がクセになっている人と会話をすると私のイライラ度は最高潮に達します。
“アナタの言っていることには耳を傾けています。
でも、同意するかどうかは別ですよ。
アナタが話し終わったら私の逆襲は始まります。
だから今のうち、たっぷり喋ってくださいね”。
相手がこんなことを思っているのではないか、私はこういう妄想を抱いてしまうのです。
会話はたがいの良好な人間関係を基盤に成り立っています。だからそんな私の妄想も杞憂に終わることも多いのです。それでも私はこのマジック・ワードが気になって仕方がありません。
“Exactly!”
“You are right!”
“No wonder!”
等々、英語版の“なるほど”は至極分かりやすい。こちらの側が恥ずかしい気分になるほど、欧米人のリアクションは大袈裟です。ジェスチャーも交えながら同調の合図を放ってくれる、ある種の快感を運んでくれるのです。
これと比べると日本語は少々、厄介に感じます。でもこれがまた日本語の面白いところでもあります。
さて、我が身を振り返ってみて分かったこと。それは、私自身が“なるほど”を多用する人間だったということです。他人がマジック・ワードを使うのは嫌、でも自分は“堂々”と使う。 横柄な自分の姿が映し出されると何とも複雑な気分です。

◆塾長日記2009年6月2日
●スピーチとワインとピアノ?
“おい息子よ。
立派な大人になるために大切なことが3つある。
分かるか?
スピーチとワインとピアノだ”。
息子がよちよち歩きの頃から私が繰り返し述べてきたことです。スピーチは私が教えればいい。酒の飲み方も私が教える。でも、ピアノだけは私が教えるわけにはいきません。
“福澤さん。ピアノでも弾いていただけませんか?”
パーティの席上でこうリクエストされて出来ない自分に何度遭遇したことでしょう。そんな場面でいかにもピアノが似つかわしくなさそうな“ヤツ”が見事に演奏をやってのけてしまう。メタボであろうがハゲチョビンであろうがやっぱりピアノが弾ける男はカッコいい。私自身のさもしいホンネです。
スピーチは人並み以上に上手くできる。ワインの話にも少しは付き合える。でも、ピアノだけはお手上げです。
私自身、文化人を気取るつもりはありません。ただ、“それなりの場”に身を置く人たちは“それなりの所作”を身につけて大人になっているのです。このことを大人になって気づいても遅い。
スピーチとワインとピアノは最低条件。ダンスもできなければなりません。乗馬の知識も意外に役立ちます。英語以外にもうひとつ外国語に堪能である必要もあります。日本の文化や歴史を簡単な言葉で表現する能力も必要かも知れません。
さて、今話題の“I dreamed a dream”を息子が演奏してくれました。レ・ミゼラブルの主題歌です。彼がパーティの席上で見事にメロディーを奏でる場面を想像しながら気分よく眠りについてしまった私です。

◆塾長日記2009年6月1日
●やはり日本は技術立国だ
“自分の名前は書けるが、手紙は書けないといった準文盲の彼らが、仕様書に目をチラリと走らせ、タバコを吸い、バカ話に笑いころげながらクルマを組み立てていく。中には英語のわからない移民もいる。さらにはクラックに侵されたプッツン人間。その彼らが作るクルマが日本車やドイツ車より売れないとこぼすのがおかしいのだ”(落合信彦)。
今のアメリカはかつて落合氏が指摘したような状況ではないのかも知れません。それでも、
“壊れないとかえって不安になる”、
などと平然と言い放つアメリカ人のジョークがジョークではないことも事実です。クルマだけではありません。テレビも冷蔵庫もエアコンも、メイド・イン・USAの商品はすぐに壊れてしまうのです。修理代はべらぼうに高い。だから修理は自分でする。これがアメリカの”伝統“でもあります。
一方、日本はいくらでも安く手に入る石油とアメリカの核の傘の基で地道に努力を重ね続けてきました。動くモノは壊れてアタリマエというアメリカの“常識”を覆したのは日本の技術力です。世界最高レベルの技術力を維持し続けることが日本の盛衰を左右します。教育が大切なのです。
勉強の出来る子どもには飛び級をさせてどんどん勉強させる。落ちこぼれそうな子どもには徹底したフォローをする。民間企業に流れてしまう逸材を教師として教育の現場に引き戻す。教師同志を競争させ指導力のレベルを徹底的に上げる。子どもたちの学力低下に歯止めをかけるためにすべきことは山ほどあるはずです。
マイクロソフト社の社員の半数がインド人だといいます。中国も韓国も台湾もシンガポールも物凄いスピードで日本を追い抜こうとしています。日本人は元来勤勉だから大丈夫と胡坐をかいている暇はありません。

◆塾長日記2009年5月31日
●どこまでもアホな男
第1話
“私のこと愛してる?”
って聞かれてさ、
“もちろん愛してるよ”
って答えたのよ。そしたら急に機嫌が悪くなっちゃって、もう何が何だか分かんなくなっちゃっやよ。オンナってわかんねえなあ。
解答⇒“高い買い物したいんだけどぉ”。 ジャンジャン!
第2話
“静かで気持いィ〜”。
“そうだろう。たまにはこういうデートもいいと思ってさ”。
“こんな景色見るの何年ぶりかしら?”
“ゆっくりしようよ”。
海が見たいっていうからさ、久々に遠出したんだよ。でもさあ、その晩は盛り上がらなくってさあ、オンナってわかんねえなあ。
解答⇒“退屈なデートだにゃあ”。 ジャンジャン!
第3話
“あっ、新しいランジェリーだ”。
“恥ずかしいっ”
“恥ずかしがることないだろう”
“明かり消して”。
いつもは電気点けっぱなしでエッチするのにさあ、昨日は消せってうるさいんだよ。見たことないセクシーな下着だったらから褒めたわけ。そしたら急に泣き出しちゃってさ。オンナってわかんねえなあ。
解答⇒“太ももがたるんできたのよ”。 ジャンジャン!
第4話
“最近、私、落ち込んでるの”。
“どうしたんだ?”
“(無言)”。
“大丈夫か?”
“ちょっと深刻かも”。
“じゃあ、旅行なんか行ってる場合じゃないか?”
“行く〜”。
落ち込んでるって言うから、凄く心配してたわけ。サプライズで旅行を計画してたんだけど、こんな状況じゃ旅行どころじゃないかなって思ってたのよ。そしたら旅行には行きたいって言うわけ。オンナってわかんねえなあ。
解答⇒“最近、マンネリだった”。 ジャンジャン!
第5話
“メール書いたの送信し忘れちゃって”。
“そうなんだ”。
“私ってバカだから”。
“気にするなよ”。
書いたメールを保存しちゃって送信し忘れたらしいのよ。そんなこといちいち話さくってもいいのに。そんなにオレって愛されてるのかなあ。オンナの愛情表現ってわかんねえなあ。
解答⇒“昨日の浮気はバレなかったかなあ?” ジャンジャン!

◆塾長日記2009年5月30日
●ニューヨーク・マスク事情?
人種の坩堝、ニューヨーク。誰がどの国からやって来たのか、観光客なのか地元の人なのか、顔を見るだけでは判別がつきません。
“今日、マンハッタンで面白い光景を見たんですよ”。
MET社の徳さんから電話が入りました。
“集団で歩いている人たちなんですけど、
皆マスクをしているんですよ。
キョロキョロしながら早足で立ち去っていったんですけどね(笑)”。
新型インフルエンザの影響で日本人が探しやすくなったという話には思わず苦笑してしまいました。過剰に反応しすぎる日本人と鈍感すぎるアメリカ人。この話題で大いに盛り上がりました。
私がもっと驚いたことは徳さん自身がニューヨークで新型インフルエンザ感染者がいることすら知らなかったということです。飲食店に置いてある日本語のフリーペパーを見て初めて気づいたそうです。
“福澤さん!
今、ニューヨークでインフルエンザが流行しているんですか?”
“僕に聞かないで(笑)”。
マスクをして出勤するニューヨーカーの姿が日本のメディアで報道されていました。でも実際にそういう人がいるとは思えません。
“Is mask available?”
私はドラッグストアでマスクを買い求めたことがあります。初めて渡米したきのことです。マスクのことを説明するだけで四苦八苦したことを覚えています。結局マスクは見つかりませんでした。水枕も探したことがありますが、見たことはありません。日本とアメリカではこれだけ事情が違うのですね。
”マスクをした集団の写メを撮ったんですが、ご覧になりますか?“
それほどマスクは珍しい?

◆塾長日記2009年5月29日
●毒を取り除いてはいけない
“多くの批判された人々は銅像になっているが、
批判した人々の銅像はひとつもない”。(Colin Turner)
人として、スピーカーとしていちばん避けなければならないのは人畜無害の人間になってしまうことです。誰もアナタを批判しない、噂話もなければ話題にされることもない。こうなったらおしまいです。
批判されることに怯えるあまり、一本筋の通ったアナタを磨くチャンスが奪われてしまう。これほど愚かなことはありません。批判されるのはアナタが刺激的であることの証です。アナタを批判する人が存在していること自体に大きな意義がある。こう考えれば右往左往する必要はないのです。
“いい人ですね”。
人からこう言われたら末期です。
“アイツさえいなければ安泰なのになあ”。
陰でこう言われることが大切なのです。
毒がない人は皆から”好かれ”ます。でもこれは幻想です。こういう人は単に邪魔にならない“普通の人”なだけなのです。アナタの体に潜む毒を取り除いてはいけません。毒こそがアナタがアナタらしく生きていく起爆剤なのですから。
バラの花にはトゲがあります。トゲを取ってしまうと早く枯れてしまいます。だから花屋さんではトゲがついたままバラの花を売っているのです。

◆塾長日記2009年5月28日
●丸社会の日本人?
“What you say doesn’t make sense”
日本語に訳せば、
“君の言っていることは意味をなさない”。
チョイト堅い? 平たく言えば、
“バカじゃん”
という意味です。
英語では日常的な表現です。言い方や状況にもよりますが、こう述べて喧嘩腰になることはないように感じます。
“I like you very much. (君のことは好き。)
But what you say is not acceptable.”(でも言っていることは受け入れられない。)
意見に対する攻撃と個人に対する攻撃。両者の住み分けを明確にする言語が英語です。
さて、日本語は? 相手の言っていることがよく分からない、受け入れることが難しそう。こんなとき日本人はどう反応するかは興味深いテーマです。
すべてを丸く収め、角が立たないようにする。これが日本の美徳です。面子に配慮することにも敏感です。
厄介なのは日本語では意見と人格をワンセットで考える傾向が強いということです。
“その考え方って普通じゃないと思わない?”
“えっ。文句あるの?”
”文句じゃないよ”。
“よく平気でそんなこと言えるわね”。
“ちょっと思っただけだよ”。
“私のこと嫌いなんでしょう?”
こうなると収拾がつきませんね。弁塾の塾長がオロオロする場面でもあります。
相手の人格を攻撃しようなど毛頭考えてはいない。それでも相手は人格までをも否定されたと思い込んでしまう。だとすれば、日本語を“操る”には相当の労力を要することになります。
“アナタの人格を否定するつもりはありません。
でもおっしゃっていることには賛成しかねます”。
ますます角が立つ日本語になってしまいました(笑)。

◆塾長日記2009年5月27日
●ルールのない野球?
野球をしたことのない人にボールとミットとバットを持たせたらいったいどうなるか? 党首討論を見ながら私はこんなことを考えていました。
集団で討論することがdiscussion、二者で議論することがdebate、麻生総理と鳩山代表がおこなった党首討論はdebateです。
野球と同様、debateにはルールと審判が必要です。ルールもない、審判もない、だから今回のようなドタバタ劇になってしまうのです。
欧米流のハイレベルなdebateでなくてもいいから、先ずはテーマ(proposition)を決め、それに沿って話し合いを盛り上げる。とりあえずこれだけの“ルール”が守られればいい。
口火を切ったのは鳩山氏です。テーマは“友愛社会”でした。
“他人の幸せが自分の幸せだと感じることのできる社会が友愛社会だ”。
これが友愛社会の定義で、それを実現したいというのが鳩山氏の主張なのでしょう。ならばその主張から話を逸らしてはいけません。最後まで友愛一点に絞って麻生総理に迫る。これが鳩山氏がすべきことだったのです。逸れて、逸れて、また、逸れる。そして感情的になる。怨念だけが残り、誰の目から見ても後味の悪い“ディベート”になってしまうのです。
審判がいないとどちらが勝ったか分からない。これでは面白みに欠けてしまいます。評価が戻ってこない模擬試験のようなもの、これでは志気が高まりません。
民間から審判を募る。ディベートの知識が豊富であれば国籍や性別を問う必要はないと思います。採点結果を公表し、勝者を決めのです。制度の導入は至極簡単なことではないでしょうか。
ディベート途上国の日本にディベートが根ざすこと、無理矢理にでも根ざさせること。これが急務であり、私の責務でもある。私はこう考えているところです。

◆塾長日記2009年5月24日
●オー、ザッツ、ケミストリー!
“How come you just talk about chemistry?”
(何で科学の話ばかりするのか?)
こんな質問をして恥をかいたことがあります。“ケミストリー”とは英語で”相性“のことです。人と人が出会えば化学反応が起こり、新しい関係が築かれる。相性がよければgood chemistry、相性が悪ければbad chemistryということになります。
“Kojiとは相性がいいので、一緒に仕事をしていて楽しい”。
こういう文脈で会話が弾んでいる矢先の出来事でした。私がピントの外れた質問をしたため、皆が一斉に笑い転げてしまったのでした。英語のスピーチを専門に教え始めた頃の私の経験です。
“人と人の関係は化学反応だ”。
なるほど面白い。好きな人は大歓迎、少々、嫌いな人でもケミストリーの発想で歓迎してみる。そのうち化学反応が起こって仲良くなるかも知れない、いや、仲良くなるに違いない。こういう狩猟民族の発想は見習ってみる価値はありそうです。
農耕民族のDNAなのか、あるいは性格なのか、私はチョッピリ好き嫌いが激しい。一見フレンドリーで誰とも仲良くできるのですが、そういう自分が苦痛に感じられることも少なくありません。要するに人間が未熟なのです。
“アイツとは相性が悪いからなあ”。
こう感じた途端にお付き合いを控えてしまう私がいます。自分のことは棚に置き、人のあら捜しばかりしてしまうのです。おそらく相手も同じような感情を抱いているはず。 たから新たなケミストリーは起こらないのです。
“とにかく人間関係はケミストリーなのだ。
化学反応を楽しんじゃえばいい”。
こういう発想で相性の悪そうな人にも声をかけてみる。誘われたら喜んで歓迎する。そして新しいケミストリーを謳歌する。これが肩の凝らない人間関係なのではないか、私はこう考えています。

◆塾長日記2009年5月23日
●意見を持たない人たち
桜井邦朋氏は『考え方の風土』の中でこう述べています。
“(日本が)自分の意見を持たなくても大人として生きていかれる国であることは、暮らしやすいに違いないが、こうした世界では、思考が感覚的となり、散漫となることを免れない”。
日本人はスピーチが不得意だといわれます。でも実はそうではなく、自分の意見を持っていないので、それが言葉にならないのではないか。だから結果としてスピーチが不得意なのではないか。ふとこんなことを考えてしまいました。
“選挙に行ったって日本が変わるわけじゃない”。
これは意見ではありません。あきらめの感情です。
“税金ばかりとりやがって”。
これは、ぼやき。
“自分の生活さえ守られればそれでいい”。
これは、エゴです。
あきらめ、ぼやき、エゴではなく、どんな日本が理想の日本なのか、どんな社会が理想の社会なのか、一本筋の通った持論を展開する、あるいは、それができる。こういう日本人の数の多さに比例してこの国の未来が切り開かれていくのではないか、私にはそんな気がします。
人に受け入れられることのみを自分の“意見”とする。このことが村社会の掟なのだとすれば、日本は議論をしたり、自分独自の意見を持つことが難しい国ということになります。
意見を仕切るのはもっぱら体勢の側。民はそれに背かないことのみを礎(いしずえ)とする。これでは奴隷と変わありません。自分が奴隷であることさえも気づかないのだとすれば不幸です。
“日本には、理屈、いい代えれば、論理的な思考を妙に卑しみ、さげすむ傾向が大人たちのなかにはある”。
桜井氏の言葉は私の胸にグサリと突き刺さります。

◆塾長日記2009年5月22日
●妙に饒舌な男
“いい話があるんです。
未公開株なんですけどね。
訳ありなんですよ”。
延々と話を続ける彼の姿を見て私が感じたのは、
“生き様は顔に出る”
ということです。
つい最近、マスコミを賑わした人物です。詐欺(fraud)事件で逮捕され判決は執行猶予。本人は最後まで無実を主張していました。
まず驚いたのは彼が饒舌(eloquent)だということです。話に隙がない。しかも楽しい。聞いていて飽きがこないのです。
“お金には興味はないんですよ”。
こういう言葉を返す以外に断る手段がない、そう感じさせるくらいに彼のトークは“完ぺき”でした。
どれほど心豊かに生きてきたか、どれほど人を愛し愛されてきたか、そして、どれほど自分に正直に生きてきたか。こういうことすべてが顔全体に表れる、こんなアタリマエのことを再認識することができたような気がします。
彼が繰り返し使った言葉、それは、
“信じてもらえないかも知れませんが。
僕も知らなかったんですが。
これも縁だと思います。”
こういうフレーズを絡めながら”儲かる”話を淡々を行う人の顔がどんな顔なのか。それは、精進・努力とは無縁の薄っぺらな顔、人から愛されたことがないような寂しい顔でした。

◆塾長日記2009年5月21日
●直感力を磨くには?
“直感(hunch)が正しい”。
2者択一を迫られて迷った挙句、ハズレを選んでしまう経験は誰にでもあると思います。
“ほら、やっぱりだ。
こうなると思ってたんだよな”。
ハズレを選んだ人の弁です。
“どうしてうまくいかないのかなあ?”
妙な反省をするとますます直感力が鈍くなっていきます。データや他人の声が気になり始めます。ネットという便利な道具も登場しました。そしてますますアタリから遠ざかってしまうのです。
直感力と右脳の関係を饒舌に話してくれた友人がいます。
“右脳を開発するといいよ云々”。
なるほど話は面白かった。でもその人がFXでいつも損をしているのはなぜ?(笑)。
“直”に“感”じているのはアナタ自身です。そういうアナタの皮膚感覚に素直に生きてみる。背いたり後悔したりはしない。そういう生き方をしている人の直感が実はいちばん当たるのではないか、私にはそんな気がしています。
私たちの体は宇宙から飛来した元素で構成されています。人間はみな宇宙の子です。東から登る太陽を素直に受け入れ、西に沈む太陽も素直に受け入れる。そういう宇宙の法則に逆らわずに真っ直ぐ生きる人。2者択一を迫られたり、決断を下さなければならないことをも楽しむ心の余裕のある人。そういう人の直感が実はいちばん当たるのだと思います。
今、アナタが家族、友人、恋人から愛されているのはなぜか? それは既にアナタ自身に最高の直観力が備わっているからなのです。

◆塾長日記2009年5月20日
●ソコは見せちゃダメ!
“どんな女性が好きですか?”
女性からこういう質問を女性されたとき私は、
“底が見えない女性”、
と返答することにしています。
少しだけ言い換えると、
”底をけっして見せることのない女性”、
このほうがより正確です。
“アナタに私の底なんて見えているはずがないわ。
オンナはしたたかなのよ”。
こういう声が聞こえてきそうです。そもそも人間の“底”など誰にも分かるはずがありません。男女の仲ならなおさらです。要は実際に“底”が見えたかどうかではなく、見えた気になるかどうかという問題です。
“男にはペニスが2本ある”。
これが私の考えです。いったん“底”が見えてしまうと心の中のペニスが萎えてしまうのです。理想は双方のペニスが常時、活発でいる続けること。だから私は女性の“底”が見たくありません。見えないほうがいいのです。
“付き合い始めは優しかったのに、
最近のカレったら素っ気ないのよね。
倦怠期かしら?”
こういう問題ではありません。カレにはアナタの“底”が見えてしまった。実際に見えてるかどうかは別として彼の心の中のペニスが反応しなくなってしまったのです。
“底”が見えた女性は男にとってはウザく感じられてきます。優しくしようとする気も失せてしまいます。そして、“底”が見えない別の女性に目が向くことになるのです。
浮気をしたカレを責める前に女性としてのアナタが“底”を見せてしまってはいないかどうか、今一度チェックをしてみてはどうでしょうか。2本のペニスを刺激することのできるアナタからカレが離れることはありません。
ソコは見せても“底”は見せない女性でい続ける。このことが大切です。

◆塾長日記2009年5月19日
●Fairとは?
欧米人との交渉に行き詰ったら、
“It’s unfair.”
と叫べばいい。
ガイジンを一瞬だけでも黙らせることのできる打ち出の小槌、それがunfairという言葉です。彼らの人間関係は、
“You and I are equal.”
を前提として成立しています。だからunfairという言葉に敏感に反応するのです。
ビジネス交渉とはそもそも不利な状況を相手に受け入れさせること。フェアでないことは相手の側も承知しているのです。そんな場面で、
“We understand what you say, but ”
などと、ボソボソ呟くから舐められてしまうのです。これでは相手の側からもリスペクト(respect)されません。議論すべきは議論する。そういう意思を鮮明に打ち出すことが“フェア”な交渉なのです。
タフ(tough)な条件を提示されて喧嘩腰になる必要はありません。
“予想以上に厳しい条件を提示してきたなあ。
こう思ったらそれをダイレクトに伝えればいいのです。相手がタフ・ネゴシエーター(tough negotiator)であることに敬意を払い、それはそれで評価する。そういうフランクな弁(speech)を彼らの側も求めているのです。おたがいの一致点をこちらの側から積極的に提示・リードする。こういう姿勢が信頼関係をも生み出すのです。
“See you tomorrow at six!”
(明日6時に会おう!)
“Fair enough.”
(いいね。)
fairはこんな場面でも用いられます。意見が一致する感覚、それがfairの本質なのです。

◆塾長日記2009年5月18日
●何を推敲するのか?
“Maybe I’m a little fool.
Would you kindly rephrase your point once again?”
力を入れて取り組んだスピーチ、そのQAでジャッジにこう質問をされたことがあります。“rephrase the point”とはつまり
“よくわからないからもう一度説明してよ”
ということです。即興(impromptu)スピーチではありません。予め原稿を用意し、文法や用語の吟味にも気を配り、推敲に推敲を重ねたスピーチです。それが、
“人には伝わらない”。
こういうショッキングな体験の積み重ねが今の指導に役立っている。う勝手にこう思っている私です。
受け入れてもらえるとか賛同してもらうことか、そういう次元ではなく、先ずは、聞き手の側に理解してもらうこと。これが最優先課題です。
一文一文は完ぺきであってもダメ、全体を通して言いたいことが理解され得るものなのか、このことがスピーチを成功させるための要です。
皮肉にも時間をかけて取り組んだプリペアード・スピーチ(prepared speech)は不評でしたが即興のQAは好評でした。
“You shouldn’t have prepared so well.”
“そんなに準備しないほうがよかったね”
準備すべきは、不完全なスピーチを推敲・吟味することではなく、言いたいことを鮮明に打ち出すこと。こんな単純なことなのです。このコツを感覚的に掴んだ人。こういう人は皆スピーチが上手になっていきます。
背景説明や具体例、比喩、喩えに心を奪われて核心部分が疎かになっていないかどうか、今一度、アナタのスピーチを再点検してみてはいかがでしょうか。

◆塾長日記2009年5月17日
●だからスピーチは嫌い!
言いたいことがある。それを聞き手にダイレクトに伝える。そして失敗する。
“だからスピーチは嫌い、難しい、面倒”。
こういう声をよく耳にします。
スピーチを成立させるための条件、それはアナタが言いたいことと、聴衆が聞きたいこと、それらが完全に一致することです。スピーチは聞き手中心 (listener-oriented) でなければなりません。独りよがりのスピーチは単なる“たわ言”です。
“たわ言”がスピーチだと思い込んでいる人が意外に多い。
“キミはそのことを知らないんだね。
私が教えてあげよう”。
余計なお世話です。
“そんなやり方じゃあ成功しない。
こうすればうまくいくぞ”。
これも余計なお世話。
“どうだ。
面白いだろう?”
これら“たわ言”はどれもこれも聞き手のニーズから的を外れています。そのことに気づかないまま延々と”たわ言“を言い続ける。そして聞き手に拒絶されてしまうのです。
演壇の前に立って喋ることだけがスピーチではありません。日常生活でのトークすべてがスピーチです。
アナタの目の前にいる人の望みをアナタの肉声を通して叶えてあげる。こういう心構えが出来ている人。そういう人が皆から慕われるリーダーになれるのです。

◆塾長日記2009年5月16日
●能楽堂で思う
“What’s the point?
Come on.
Tell me!”
言いたいことはズバリ言う。枕詞は一切排除してお互いウィン・ウィンの関係を築く。問題があればその場で即解決。そして固い握手を交わす。
英語でビジネスをするのはある意味、非常に簡単なことです。余計なことは考えない。、仕事はお金と割り切っる。そうすれば事はすべてスムーズに運ぶのです。
“国際社会で日本式は通用しない”。
たしかに面子やわび、さびを欧米人に求めたところで理解されるはずもありません。だから私自身、彼らと接するときには頭の中を“欧米化”させることになるのです。
“日本人はバカだから困る。
Kojiは分りやすいから好きだ”。
ここまで言われると黙っているわけにはいきません。日本男児のDNAに火がつき心の中の剣を抜きたい衝動に駆られてしまうのです。
さて、私は今、本郷の能楽堂に来ています。少しばかりの台詞すら理解できない自分がいます。小学生の息子に能が何たるか、その歴史すら語ることのできない父親、それが私です。現代日本で記された小冊子すらまともに解釈することができない、そんな不甲斐なさに心が折れそうな気持にさえなってしまいます。
お能は質素な芸術です。美点を強調するのではなく、美点をあえてほんのり隠して見せることによってより強く感じさせる、こんな奥ゆかしさを私は感じ取ることができました。物事の表面に囚われることない、秘められた力強さと華やかさ。こんな感性を呼び覚ましてくれたのが今日のお能鑑賞でした。
言葉と文化は切り離して考えることはできません。どちらが欠けても片手落ちです。日本語を教える立場に身を置く私の精進すべき方向をお能が鮮明し映し出してくれた気がします。

◆塾長日記2009年5月15日
●言葉の羅列ではダメ!
思いついたことをポンポン喋るのが会話、まとまりのあるトークに仕立て上げるのがスピーチです。会話もスピーチも話し方という言葉で片付けようとする悩むことになります。
“1対1の会話は得意なんです。
でも大勢の前で話すとダメなんです。
どうしてでしょうか?”。
こういう悩みを抱えている人が多いようです。
スピーチは映画やミュージカルのようなもので台本と監督が必要です。セリフを考えるのはアナタ、監督をするのも、主演するのもアナタです。すべての段取りをアナタ自身ですべて仕切る、これがスピーチです。
子どもが活躍する運動会のビデオ映像がなぜ他人には面白く感じられないのか。会話の羅列のようになんとなく撮った映像だからです。スピーチも単なる言葉の羅列ではダメなのです。
“なんでもいいから皆の前で喋ってごらんなさい”。
日本の教育現場ではこういうトレーニングをあまり行ってきませんでした。社会人になって初めてスピーチやプレゼンをする人がほとんどです。メガホン片手に映画監督を演じろと急に言われても戸惑うのは当然ですね。
日本の政治家のスピーチが国民に伝わり難いのは彼らの多くが会話のノリでスピーチを行うからです。大声で連呼することがスピーチではありません。演台の前に立って話すことがスピーチではないのです。
志が高く、日本を変えてくれる実力者であっても、真意が国民に伝わらなければ意味がありません。そういう政治家が多いのは残念です。一日もはやくディベート、スピーチ教育を導入することが急務です。小学生に英語教育を施すこと以上に大切なことだと思います。

◆塾長日記2009年5月14日
●民主党に欠けていること
挙党一致を優先させた小沢一郎氏の判断が凶と出るか吉と出るか、それは総選挙後に分ることだと思います。ダーティーなイメージを払拭し与党自民とどういう戦いをするのか、今から楽しみでもあります。
”自民と民主はどこがどう違うの?”
小学生の息子に質問されても私自身、返答に戸惑ってしまいます。反自民、反与党であること以外に明確な違いが見えてこないからです。
“官僚政治を打破します”
とは小沢氏が繰り返し述べてきたことです。でも、これで庶民の生活がよくなるわけではありません。犯罪や不幸な事件が減るわけでもありませんし、景気がすぐによくなるわけでもないのです。国民が真に求めていることは実生活に根ざした生活の諸問題です。高速道路料金の一律1000円は予想以上に好評でした。庶民はお得感が大好きなのです。
“政権交代をしなければ日本はダメになる”。
これが民主党の掲げるスローガンです。でも、
“政権交代をしたら日本はもっとダメになる”。
こういう不安も国民にはあるのです。農耕民族は安定志向です。不安を払拭しない限り、圧倒的なリーダーシップを発揮しない限り、国民は現状維持政党を選択することになるのです。
小沢氏を辞任させること以上に大切なこと。それは自民党と民主党の明確(concrete)な違いを列挙し、国民に知らしめることです。与党叩きはメディアに任せ民主のビジョンを高らかに謳いあげるのです。このことが民主党にはできていません。
民主党のもうひとつの弱点。それは理想を実現する財源の説明が脆弱なことです。
“無駄をなくせば財源は確保できる”。
ほんとうにそうなのか。かつての日本のリーダーの孫VS孫の総選挙が間もなく始まります。

◆塾長日記2009年5月13日
●What can I do for YOU?
“私のために何をしてくださるのかしら?”
“残念だけど何もしてあげられないんだ”。
“あら、どうして?”
“君だって何もしてくれないじゃない”。
こういう末期の男女関係と今の日本が似ているような気がします。ケネディー大統領が就任演説で語った、
“Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.”
は今の時代にも通じるものがあると思います。日本が我々を幸せにしてくれるのではなく、我々一人ひとりが自助努力で幸せになる。そして、結果として豊かな国家が出来上がる。こういう姿勢が実は非常に大切なのです。
“政治家は何もしてくれない”。
こういう声も聞こえてきます。たしかに政治家はアナタの家を修理したり、肩を揉んだりはしてくれませんが、我々はみな間接的な恩恵を受けているのです。このことに無頓着ではいけません。
“じゃあ、何をすればいいのか?”
この質問は私自身のテーマでもあります。明確な答は出せないまま日々を生きているというのが正直なところです。先ずは今の自分の仕事に切磋琢磨する。このことによって社会的な貢献をする。月並みですがこれが正直な私の気持です。
自民党もダメ。民主党もダメ。その他大勢もダメ。でもアナタ自身はどうなのか? 私自身はどうなのか? このことを真摯に考えてみれば我々国民が何をすればいいのか、より鮮明に分るのではないでしょうか。
塾長日記が更新されていないことで多くの人たちから失望のメールをいただきました。私のすべきこと、私ができる社会貢献はあまりにも明白です。
|